昨日の言の葉の続きです。
感じた感情の幅だけ、豊かな生を受け取れる。そんなふうに思うのです。
男性は感情を感じることが苦手と申しますが、私もそうですね。私は突然の別離に寂しいという感情を切ってしまい、世界が灰色だった時期がありましたから、なおさらです。
それでも、ようやく最近少しずつ自分の感じていることに目を向け、寄り添うことができてきました。
ネガティブな感情も、ポジティブなそれも、否定せずに浮かんでは消える泡のよう。それは寄り添っても無くなるわけではありません。
嬉しいときもあれば、
悲しいときもあれば、
悔しいときも、寂しいときも、楽しいときも、腹が立つときも、羨ましいときも、愛しいときも、わびしいときも…
日々たくさんの感情が浮かんできます。
そして、感情は「生もの」です。
その感じが浮かんだ瞬間が最も鮮やかに感じられるのですが、面倒臭がったり、目を向けようとしなかったり、なかったことにしたり、後回しにしたりしていると、だんだんと心の底に澱のように沈んでいきます。
そうするとその澱はフィルターのように、次の感情を感じるのを抑えつけ、どんどん感度を鈍くしていきます。しまいには、無感動なロボットのように、ルーティンをかたかたとこなすだけの灰色の毎日が待っています。
しかし、いったん自分の心に目を向け出し、何か一つの感情を感じることができると、サツマイモの収穫のように、ずるずるずるっといろんな感情を感じられるようになります。
私の場合は「寂しい」という感情でした。
それを感じはじめると、さまざまなポジティブな感情も戻ってきました。
まだまだ「寂しさ」などのネガティブな感情を感じるのは抵抗がありますが、それでも感じるとまた世界が鮮やかになってくるのです。
どんな感情も、ずっとなくならないということはありません。感じ続けると、「ふっ」と蒸発していきます。
そうするも、また少し深い感情が感じられるようになるのです。ネガティブなものも、ポジティブなものも。
その幅が、きっと豊かさと呼ばれるものなのでしょう。酸いも甘いも感じられることを、おそらく幸せと呼ぶのでしょう。
豊かだから、幸せだから、悲しくない、寂しくない、ということはないのだと思うのです。
冬の寒さを感じられるから、鍋の暖かさが染み渡る。
夏の暑さを感じられるから、頭キーンってなるまでかき氷を楽しめる。
どれが欠けても豊かではありません。
だから、どんな感情も、
ありがたいなぁ
と思えるのです。
感じはじめるまでは、とても怖いのですけれどね。
生ハムの塩味があるから、ワインが引き立つ。
どれもこれも、ありがたいですね。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。