大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

感じた感情の幅は、そのまま豊かさの幅になる

昨日の言の葉の続きです。

感じた感情の幅だけ、豊かな生を受け取れる。そんなふうに思うのです。

 

男性は感情を感じることが苦手と申しますが、私もそうですね。私は突然の別離に寂しいという感情を切ってしまい、世界が灰色だった時期がありましたから、なおさらです。

それでも、ようやく最近少しずつ自分の感じていることに目を向け、寄り添うことができてきました。

ネガティブな感情も、ポジティブなそれも、否定せずに浮かんでは消える泡のよう。それは寄り添っても無くなるわけではありません。

嬉しいときもあれば、
悲しいときもあれば、
悔しいときも、寂しいときも、楽しいときも、腹が立つときも、羨ましいときも、愛しいときも、わびしいときも…

日々たくさんの感情が浮かんできます。

 

そして、感情は「生もの」です。

その感じが浮かんだ瞬間が最も鮮やかに感じられるのですが、面倒臭がったり、目を向けようとしなかったり、なかったことにしたり、後回しにしたりしていると、だんだんと心の底に澱のように沈んでいきます。

そうするとその澱はフィルターのように、次の感情を感じるのを抑えつけ、どんどん感度を鈍くしていきます。しまいには、無感動なロボットのように、ルーティンをかたかたとこなすだけの灰色の毎日が待っています。

しかし、いったん自分の心に目を向け出し、何か一つの感情を感じることができると、サツマイモの収穫のように、ずるずるずるっといろんな感情を感じられるようになります。

 

私の場合は「寂しい」という感情でした。

それを感じはじめると、さまざまなポジティブな感情も戻ってきました。

まだまだ「寂しさ」などのネガティブな感情を感じるのは抵抗がありますが、それでも感じるとまた世界が鮮やかになってくるのです。

どんな感情も、ずっとなくならないということはありません。感じ続けると、「ふっ」と蒸発していきます。

そうするも、また少し深い感情が感じられるようになるのです。ネガティブなものも、ポジティブなものも。

その幅が、きっと豊かさと呼ばれるものなのでしょう。酸いも甘いも感じられることを、おそらく幸せと呼ぶのでしょう。

豊かだから、幸せだから、悲しくない、寂しくない、ということはないのだと思うのです。

 

冬の寒さを感じられるから、鍋の暖かさが染み渡る。

夏の暑さを感じられるから、頭キーンってなるまでかき氷を楽しめる。

どれが欠けても豊かではありません。

だから、どんな感情も、

ありがたいなぁ

と思えるのです。

感じはじめるまでは、とても怖いのですけれどね。

生ハムの塩味があるから、ワインが引き立つ。
どれもこれも、ありがたいですね。

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どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。