大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「癒し」とはものごとの見方を変えることであり、それは遅すぎることなんかない。

過去の未完了な感情があると、いまのできごとに影響することがあります。

その未完了の感情を感じることができると、過去のできごとに対しての見方を変えることができます。

それを「癒し」とよびますが、自分を癒すのに遅すぎることはありません。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.過去を完了していないと、そのときの亡霊が、いまの関係にまとわりつく

あなたが親や兄弟、またはそのほかの大切な関係で、学ぶべきレッスンを完了していないと、それは現在のあなたの人間関係を邪魔することになります。

現在の関係を癒すことによって、そのレッスンをいま学ぶことができるのです。

すると、過去の関係を別の視点から見ることができ、癒すことが可能になるのです。

 

また、ときにはあなたの過去において重要だった人とコミュニケーションするほうが、もっと簡単に前に進むことができるかもしれません。

現在の成熟した視点から過去の状況を理解し、その問題を手放しましょう。

 

過去の亡霊が退散したとき、当時の幸福な時間と祝福があなたを力づけてくれることでしょう。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.188

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2.「癒し」とは、見方をポジティブに変えること

今日のテーマは、「癒し」です。

いろんな場面で「癒し」という言葉は使われますが、心理学的な意味について、お伝えしたいと思います。

それは、カウンセリングの中でも、根幹となる大切な考え方です。

過去の未完了の感情が、いまの関係に影響を及ぼす

私たちは、ネガティブな感情を感じることを怖れ、その感情を心の奥底に沈めます。

多くの場合、それは両親やきょうだいといった、近しい関係性のなかで起こります。

「お母さんに甘えたかったのに、いつも厳しくて怒られていた」
「お父さんはいつも家にいなくて、寂しかった」
「優秀なお兄ちゃんといつも比べられて、悲しかった」

…などなど、満たされなかった想いや感情。

私たちは、そうした過去の未完了の感情を、見ないようにフタをしてしまいます。

誰だって、寂しさや悲しさ、みじめさといった、ネガティブな感情は、進んで感じたくはないものですよね。

しかし、感情の性質として、それを感じない限り、なくなることはありません。

それはボトルの底に沈んだ澱のように、ずっとあり続けます。

むしろ、「もっとこっちを見て!」とばかりに、その感情は強くなっていきます。

そうすると、「いま」の私たちは、その感情を感じさせる出来事にフォーカスするようになります。

「異動したばかりの部署なのに、上司が厳しくていつも怒られる」
「パートナーが超ハードワーカーで、なかなか会えない」
「彼女が元カレと会っていたと聞いて、ショックを受けた」

起こっている出来事は、すべてニュートラルです。

けれども、過去の未完了な感情があると、私たちはそこでひっかかるわけです。

今日の引用文のタイトル、
「過去を完了していないと、そのときの亡霊が、いまの関係にまとわりつく」
は、こんなふうに見ることができると思います。

「癒し」とは、ものごとの見方を変えること

さて、そうした過去の未完了な感情と向き合うことができると、その出来事に対する見方が変わります。

これを、「癒し」とよびます。

「癒し」の一般的な語義は、どこかふわっとしたような、超能力的な何かのように聞こえるかもしれません。

けれども、心理学においての「癒し」とは、「ものごとの見方がポジティブに変わること」と定義することができます。

「事実は変えられないけれど、真実は変えられる」という格言があります。

ここでいう事実とは、客観的な出来事を指し、真実とは、その出来事に対する解釈といえます。

事実とは誰が見ても同じですが、真実は十人いれば十通りの見方があるわけですね。

「お母さんが怒るのは、彼女なりの愛情だったのかもしれない」
「お父さんは、家族のために休日返上で働いていたのかもしれない」
「兄と比較していたのは、実は私の方だったのかもしれない」

先の例でも、そんな風に見方が変わるかもしれません。

ある出来事が、人生最悪の悲劇だったのに、人生最高の恩恵になることなど、めずらしいことではないと思います。

「癒し」とは、ものごとの見方を変えることである。

しかし、ものごとの見方を変えるには、過去の未完了な感情、引用文でいうとことの「亡霊」をどうにかしておく必要があります。

それをずっと大事ににぎりしめている状態だと、なかなかそのしんどい感情から目をそらすことができないからです。

感情を解放するには、いろんな手段がありますが、やはり「話す」ことは非常に有効な手段の一つです。

だから、カウンセリングで話すことで感情を解放していくと、過去のできごとの見方が変わったりします。

カウンセリングが「癒し」だというのは、こんな風に見ることができます。

3.自分を癒すのに、遅すぎるなんてことはない

感情には、時間の概念がない

「癒し」とは、ものごとの見方を変えること。

それを聞いても、もしかしたら「いまさら、そんな昔の話を…」と思われるかもしれません。

けれど、自分を癒すのに遅すぎることなんてない、と強くお伝えしたいと思います。

感情には、時間の概念がありません。

どれだけ時間が経っても、その感情を感じることができます。

私自身のお話をさせていただくと、父と母を突然亡くしたのは、21歳と22歳のころでした。

そこから、悲しみや寂しさという感情を、感じることのないままに、ずっと暮らしていました。

しかし、上に書いたように、その抑え込んだ感情は無くなることはなく、ずっと心のなかでくすぶっていました。

あまりに人間関係でうまくいかなくなり、はじめてカウンセリングを受けたのです。

私の師匠でもあります、根本裕幸師匠のカウンセリングでした。

カウンセリングを受けてから、3か月ほど経ったころだったでしょうか。

宿題として出されていた、父と母に手紙を書く、というワークをしようとしたら、涙が止まらなくなり、何時間も号泣していました。

考えてみれば、父と母が亡くなってから、まともに泣いた記憶がなかったんですよね。

それは、15年ぶりの涙でした。

ようやく、悲しみ、寂しさといった感情に、触れることができたのかもしれません。

15年だから長いとか、短いとか、そんなことはありません。

時間が経ったからこそ、感じられる準備ができた、と見ることもできるのでしょう。

どれだけ時間が経っても、感情を癒すことはできます。

繰り返しになりますが、自分を癒すのに遅すぎることなんかない、ということは、何度でもお伝えしたいと思います。

「父と母は、とても幸せな人生を送った」

さて、そうした感情を解放すると、ものごとの見方が変わるわけです。

それまで、私は父と母に対して、「かわいそう」という想いを抱いていた気がします。

突然亡くなったわけですから、さぞ無念だっただろうな、と。

その「かわいそう」という感覚が嫌で、意識的に、無意識的に、父と母の存在から目を逸らし続けてきました。

しかし、カウンセリングを受けて、抑え込んでいた感情を感じることができると、少しずつその見方が変わるわけです。

亡くなったことは、事実で変わりません。

しかし、それに対しての私自身の見方、真実が変わるわけです。

どのような終わりであれ、父と母は、とても幸せな人生を送った。

ふと、そう感じることができる時間が、ありました。

もちろん、何度も何度も、「悲しい、寂しい」という感情に苛まれたり、「どうして、かわいそう」という見方に戻ったりもします。

けれども、少しずつ水がしみこんでいくように、見方が変わる、癒しの道のなかばにいるのだと思います。

 

今日は、「癒し」についてお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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