大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

感情を感じることは悪いことではなく、癒しのかたちである。

「感情的」という言葉に、あまりいいイメージがないように、とかく感情はめんどくさいもの、悪いものとしてとらえられがちです。

しかしながら、感情を感じることは、偉大な癒しのかたちの一つです。

感情の持つ、いくつかの不思議な性質とともに、それをお伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.感情を感じることは、もっとも基本的な癒しのかたち

私たちがあまりいい気分ではなく、パワフルさや愛を感じられないときは、じつは癒しのための恰好なチャンスなのです。

いやな気持を感じたなら、その気持ちがなくなるまでどんどん感じていくと、やがてその気持ちは燃えつきてしまいます。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.108

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2.感情とは、何だろう?

今日のテーマは「感情」になります。

いたってシンプルなタイトルと引用文のなかに、大切な心理がさらっと書かれています。

すなわち、「感情を感じることは、癒しである」と。

感情を感じることは、悪いことでも何でもない

感情は、めんどくさいもの?

世間一般では、「感情」はとかく悪者にされがちな場面が、多いようです。

「感情的な人は、めんどくさい」

「感情がコントロールできない人は、みっともない」

「感情は不確かなもので、ロジックの方が価値がある」

「人前で泣いてはいけない」

…などなど、どうも感情を感じることに対して、ネガティブなイメージがあるのかもしれません。

こうして日々、心理学のことを書いていたり、カウンセリングをさせていただいていたりしていると、どこかマヒしてしまうのですが笑

世の中一般的には、感情を感じることや、感じていることに素直になることを、「いけないこと」とされることが多いようです。

もちろんそれは、社会生活を成り立たせるために必要な部分もあるのですが、過剰に否定することもまた、生きることを窮屈にしてしまいます。

なぜ、私たちが感情を否定的に見てしまうのかは、非常に面白いテーマだと思います。

感情を抑圧してしまう人は、感情を解放している人を忌み嫌ってしまう、心理的な側面から考えることもできるでしょうし、

「欲しがりません、勝つまでは」というように、感情を切らなくてはやっていけない戦争があった時代・社会的な背景を考えることもできるでしょうし、

あるいは、戦後の日本の教育は、工場労働者を育成することに重きを置いてきたので、感情などがあると不都合だという背景からも、考えることもできるかもしれません。

今日のテーマから外れてしまうので、深くは立ち入りませんが、感情を嫌ってしまう心理というのは、考えてみると面白いかもしれません。

感情に善悪はない

私たちは、「嬉しい」「楽しい」「愛しい」などといった感情を「善いもの」として、「悲しい」「寂しい」「怒り」といった感情を「悪いもの」として考えてしまいます。

けれども、感情自体に善悪はありません

どんな感情であれ、浮かんでしまったら、感じて流していくしか、私たちにはできません。

どんなに幸せな環境にいても、どうしようもない寂しさが浮かんでくることはあるでしょうし、
どんなに悲痛な状況でも、ふっと笑える瞬間があったりします。

感情が天気のようであるのならば、それが普通なのでしょう。

春の嵐もあれば、急に土砂降りの夕立に遭うこともあるでしょう。

ただ、浮かんできたものを、否定しないこと。

それは、自己肯定の一丁目一番地でもあります。

深い悲しみがあればこそ、世界の色は彩度を深めていきます。

凍えるような寂しさの果てに、あたたかなつながりを見ることもあります。

タペストリーのような、感情の織りなり。

そのうちの一つだけを、切り取ることは、できません。

それはまるで輪廻のように、すべてつながっているものなのでしょう。

とはいえ、イヤな感情は、できるだけご勘弁願いたいですけれどね笑

感情の不思議な性質について

コントロールできないし、勝手に無くなることもない

感情とは、生理現象や天気のようなもので、コントロールできないもの、とはよく言われます。

それは、勝手に浮かんでくるものであり、浮かんでしまったら、感じるほかないものです。

明日は晴れがいい!と思っても、雨になることは防げません。

起こることを、ただ、受け入れるのみです。

もちろん、それをそのままにしておいたら、社会生活を営むことが難しくなるので、私たちは多かれ少なかれ、感情を感じることを抑圧します。

いきなり泣き出したら、仕事にならなかったりしますし、

好きな人に気に入られようと、自分の気持ちを押し殺して笑ってしまうこともあるでしょうし、

あるいは、あまりにショックなことがあると、悲しみを受け止めきれずに、ブレーカーを飛ばすように感情を切ってしまうこともあるでしょう。

実に、さまざまな場面で、私たちは感情を抑圧します。

そうして抑圧された感情は、ワインボトルの底の澱のように、心の奥底に溜まっていきます。

冷凍保存されたそれは、勝手になくなることはありません。

便意を感じたら、トイレに行かない限り、解放されることがないのと、同じかもしれません笑

感情には、時間の概念もない

とはいえ、感情を抑圧することを、怖れることもないのかもしれません。

感情のもう一つの不思議な性質として、「感情には時間の概念が無い」とよく言われます。

何年も時間が経っているのに、まるで昨日のことのように感じられる体験があったりします。

幼いころに、抑圧した感情は、それを感じない限り、心の奥底でくすぶり続けます。

それはとらえ方によっては、イヤなことかもしれません。

けれども、準備ができれば、その感情を感じて癒すことができる、という救いでもあります。

感情を抑圧することを怖れるよりも、「抑圧してしまっても、後から感じることができるし、癒すことができる」ととらえる方が、いいのかもしれません。

それにしても、時間の概念がないとは、不思議ですよね…

3.感情という、この不思議な贈りもの

感情を感じることは、癒しである

感情を感じることは、ある意味でエネルギーを使いますし、とても疲れます。

しかし、大泣きしてスッキリした経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。

感動的な映画や、あるいは舞台なんかを見て、感情が揺り動かされる、涙が流れる。

その舞台に、自分の心情を映し出して、溜まっていた感情を感じる。

それは、今日の引用文にある通り、とても偉大な癒しです。

あるいは、「話す」ということでも、感情を感じられます。

話すことで、自覚していなかった自分の内面に気付いたり、抑えていた感情に触れることができたりします。

このあたり、女性は日常的にやっているのではないでしょうか。

カウンセリングもまた、同じですね。

「話す=離す=放す」といわれるように、話すことで感情の解放が起こり、澱のように溜まっていた感情を放すことができる

それによって、スッキリするという効用が、カウンセリングにはあります。

感情が先、行動は後

カウンセリングの話が出てきましたが、カウンセリングにおける問題解決のアプローチの一つとして、感情面を先に見る、というものがあります。

目に見える現実面の事象をどうこうしようとするのではなく、その根っこにある感情を癒すことを、目指すわけですね。

「感情が先、行動が後」とは、よく言われる格言です。

パートナーシップでの問題をどうにかしようと思ったとき、パートナーに何か働きかけることを考えるよりも先に、自分の内面に目を向けるわけです。

そこに抑圧された感情が見つかったら、それを感じて癒していくことをしていく。

そうすると、その問題を解決したときに感じたかった感情が、感じられるようになっていきます。

安らぎであったり、落ち着きであったり、愛おしさであったり…

そうした感情を感じることができると、行動が変わり、現実がそれについてくるようになる、というわけです。

もちろん、すべての問題が、そんな単純にいくわけでもありませんが、この「感情を先に癒す」という考え方は、知っておくだけでも違うように思います。

私も、それを初めて聞いたときは、こんなアプローチもあるのか、と感じたことを覚えています。

 

ということで、さまざまな「感情」の性質や、それにまつわる視点を書いてきました。

「感情」とは、実に不思議で、パワフルな力を持っています。

それだけに、ときに面倒に感じてしまったりもします。

けれども、「感情」には偉大な癒しの力があることを、知っておくだけでも、少し見方が変わるのではないでしょうか。

「感情」とは、決して忌むべきものでも、嫌うべきものでもありません。

人が生きている証なのかもしれません。

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