今日は終戦の日に寄せて、少し綴ってみたいと思います。
最後の将軍・徳川慶喜による大政奉還が1868年。
今からちょうど150年前。
30年で一世代とすると、今の私たちからだいたい5~6世代前。
昔はもう少し早産だったと考えても7~8世代をたどると、江戸時代の記憶に行き着くのではないでしょうか。
私のおじいちゃんの、おじいちゃんの、おじいちゃんあたりでしょうか。
その頃は300年に渡る泰平の江戸時代から黒船の来航、そして国内を二分する戊辰戦争という内戦が起こっていました。
そこから本格的な国外との戦争の時代の幕開けとなる日清戦争が1894年。
いまから120年ほど前に、眠れる獅子と世界から恐れられた清と戦争が始まります。
そして当時の超大国・ロシアと開戦した日露戦争が1914年。
ようやく大正時代、ここで100年ほど前の時代になりますね。
100年というと、3~4世代。
私の祖父母の親類も、日露戦争で亡くなっています。
そこから日中戦争・太平洋戦争と戦線が拡がっていき、やがて広島・長崎への原爆の投下、ポツダム宣言による終戦が1945年、昭和20年。
いまから73年前。
私の祖父は戦争の話を積極的にはしなかったのですが、日中戦争で兵隊として満州に出征したという話を一度だけ聞いたことがあります。
そして私の両親が産まれたのは、終戦のすぐ後でした。
考えてみれば、戦争が終わってからまだ100年も経っていないのですね。
そう思うと、私たちの両親、そして祖父母の記憶をたどっていくと、必ずこの悲しい時代の記憶にたどり着きます。
よく、親の愛を受け取る、というお話をここで綴らせて頂くことがあります。
私たちに絶大な影響を持つ親との関係。
その親の愛と私たち自身が欲しかった愛の形が違うと、悲しいすれ違いが起こりますし、逆に愛されていたという実感は私たちの生きる土台になります。
しかし、人間の思考は時代背景とテクノロジーに支配されます。
(支配されない思考と行動を続けられる人を、天才と呼ぶのでしょう)
おそらく私の祖父母の世代の社会は戦争という極限状態にあり、空襲や徴兵といった言葉や、生きるか死ぬか、という肌感覚のあった時代だと思うのです。
その中で子どもを産み、育ててこられた。
今の社会にあって当たり前のものが、ほとんどないその時代に。
毎日が必死だったと思うのです。
自分と、家族の身を守って生活していくだけで。
私の親の世代は、そんな両親を見て育った世代です。
そして私の両親が子育てをした時代は、高度経済成長と呼ばれる時代の夜明け頃。
きっと、豊かさを求めて日々一生懸命働いて子育てをしていたのだと思います。
食べもの、今日寝る場所、お金、多方面からの情報が普通に「在る」いま現在という時代と、そうではない時代。
そうした時代の価値観のギャップがすれ違うことがあるのは、ある意味で当然のことだと思うのです。
死ぬほど頑張ってお金を稼ぐ必要があった時代に生きた人は、どうあってもこの子を食べさせていくことが最上の愛情の表現になったのかもしれません。
その結果として、子どもと一緒にいられなかったり、我が子に愛していると伝えられる時間すら持てなくて、寂しい想いや満たされない想いをする子もいたのかもしれません。
人が抱える心の問題の多くは、親との関係性から生まれると言われます。
けれども、先ほどのお話しではないですが、今の時代を生きている人から2~3世代さかのぼると、必ずこの日本の国が経験した途方もなく悲しい経験にぶち当たります。
もしかしたら、そうした親との関係性を難しくしているのも、その途方もなく悲しい経験が大きく影響しているのかもしれません。
私たちの親の親の世代こそ、その悲しみの真っ只中を生きてきた方たちなのですから。
そう考えると、七十数年前に戦争が終わったとはいっても、まだ悲しみの記憶の連鎖は続いているともいえます。
だとするなら、私たちの心の中の平安を保つことこそ、
この国が経験した途方もなく悲しい戦争を終わらせる、ということなのかもしれません。
今日はそんな両親や祖父母が生き時代に想いを馳せながら、一日を過ごしてみたいと思います。