大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

平和の天使は、どこに生まれるか。

私たちは、ほしいと思っていたものを、誰かに与えると、とても癒されます。

あなたが欲しかったのに、与えられなかったものは、何でしょうか。

もしかしたらそれは、あなたが世界に与えられる、唯一無二の才能を示しているのかもしれません。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.あなたがほしいものこそ、あなたが相手に与えるべきもの

これはもっとも簡単な癒しの方法です。

ふつう親に対する最大の不満は、私たちが必要とするものを満たしてくれなかったということです。

でも、私たちが両親からほしいと思っていたものは、じつは私たちのほうから親に与えるものだったのです。

それを与えたとき、はじめて私たちの「親は私の欲求を満たすためにいる」という観念が解消します。

 

自分が成長しないためのたくらみのもっとも重大な側面は、だれかしらが自分の欲求を満たしてくれるのを待ってしまうことです。

本来、欲求や必要性とは、私たちが何を与えればよいのかを見せてくれるようです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.153

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2.ほしいものを与えたとき、癒される

昨日と同じようなテーマです。

以前にも、こちらの記事でも、同じようなことを書きました。

 ↓

「自分がほしいものをだれかに与えたとき、はじめてそれが手に入る」

繰り返し語られるほど、本書のなかでも大切なテーマなのでしょう。

自分の欲求を満たすために、親は存在するのではない

今日の引用文にある、この言葉。

「親は、自分の欲求を満たすために、存在するのではない」

この言葉に、グサッときたり、はっとなったり、受け入れ難い抵抗を感じる方は、多いのではないでしょうか。

えぇ、私もそうです笑

結構、厳しめのテーマですよね。

親からもらえなかった(と感じる)ものは、ときに大きな影響を与えます。

多くの場合、私たちはそれを、恋人・パートナーに求めます。

しかし、当たり前の話ですが、彼氏や妻は、父親や母親ではありません。

「あばたもエクボ」の恋愛初期などに、いっとき満たされることがあったとしても。

やがて関係性が長くなっていくと、
「おかしい!思うてたんと違う!」
「ブルータス、お前もか!」
というような不満を抱くのは、よくあることではないでしょうか。

親からもらえなかったと感じるものは、恋愛をはじめ、多くの人間関係に影響をおよぼすようです。

まずは、
「もっと愛してほしかった」
「もっとかまってほしかった」
「いつも一人で寂しかった」
という、心の奥底に沈めた感情に寄り添うことが大切です。

そうだよね、欲しかったよね、寂しかったよね、と。

そうした上で、今日のテーマを考えていただけると、自分を責めなくて済むのかな、と思います。

あなたに与えられなかったものは、あなたが与えるもの

そうして自分の感情に寄り添ったうえで、考えてみたいと思います。

どのボタンを、掛け違えたのでしょうか?

今日のテーマは、それを考えさせてくれます。

私たちは、当たり前のように、親から愛される、親から何らかの愛を与えてもらえる、そんな権利があると思っているのかもしれません。

もちろん、親が子どもをないがしろにしていい、というわけではありません。

しかし、私たち一人一人が、好きな季節が違うように。

「愛し方」もまた、人それぞれちがいます。

それは、親子であっても、違うわけです。

厳しくしつけることが、愛だと思う人。
愛していると伝えることが、愛だと思う人。
遠くから見守ることが、愛だと思う人。
お金を稼いでくることが、愛だと思う人。

実にいろんな、愛し方があります。

自分の欲しい形と、親が与えたい形が違うのは、ある意味で当然のことなのかもしれません。

その上で、今日の引用文は言います。

ふつう親に対する最大の不満は、私たちが必要とするものを満たしてくれなかったということです。

でも、私たちが両親からほしいと思っていたものは、じつは私たちのほうから親に与えるものだったのです。

そう考えることは、非常に抵抗があるかもしれません。

けれど、一つの真実だと私は思います。

 

個人的な話なのですが、私自身、親から「与えらえなかった」と感じていました。

いや、いまも感じているのでしょうね。

寂しかった、もっと一緒に遊んでほしかった。

しかし、今日のテーマに即して考えるならば、それは「私が」親に与えるべきものだったようです。

つながり、居場所、団らん、温もり。

そうしたものは、「私が」親に与えるべきものだった

残念ながら、私はもう両親を亡くしていますので、両親に直接それを与えることは、もう叶いません。

しかし、カウンセリングのなかで、日常の中で、人とのつながろうとすることは、とても癒されるのですね。

それだけに、怖いのですけれどね笑

3.平和の天使が生まれる場所

欲しかったのに与えられなかったものは、あなたの「才能」である

ここまで見てくると、今日の引用文がよくわかるのではないでしょうか。

本来、欲求や必要性とは、私たちが何を与えればよいのかを見せてくれるようです。

昨日も、同じようなことを書きました。

欲しいものが、与えるべきもの

おおよそ常識とは正反対に見えますが、真実のようです。

何を与えればよいのか。

それは、言い換えると「才能」と言い表すことができます。

「才能」とは、天から与えられた贈り物(gift)であり、また誰かに与える(give)ものだからです。

欲しかったのに、与えられなかったもの。

それは、その人の「才能」を、実に正確に表しているようです。

平和の天使は、どこに生まれるか。

平和の天使は、どこに生まれるか、というお話があります。

もとは私が心理学・カウンセリングを学んだ根本裕幸師匠から、以前に伺ったお話です。

しかし、記憶力の低下が激しい最近の私ですので笑、細部は違っているかもしれません。

 

平和にする才能がある天使が、いたとします。

その天使は、どこに生まれるでしょうか。

もうすでに、平和なところでしょうか。

きっと、そうではないんですよね。

その才能を活かすために、そうではないところを選ぶのでは、ないでしょうか。

争いや、いがみ合いが、絶えないところ。

そんな場所に生まれた天使は、平和が無い、と絶望します。

そこで、何とか平和にしようと、奮闘するわけです。

その身を粉にして、その身を挺して、平和にしようとする。

それでも、その天使の望んだ平和は、訪れない。

そこで、平和が無いことに、絶望するわけです。

「どうやっても、ぼくには平和になんかできない」、と。

 

大きな勘違いをしているわけです。

平和にする才能があるからこそ、そこに生まれたわけです。

その天使がいただけで、周りの人がどれだけ救われたか。

才能が豊かであるがゆえに、「足りない」と思い込んでしまう。

その才能がゆえに、あまりにも高い視線で「平和が無い」と見てしまっているのかもしれません。

けれど、見方を変えれば、「ない」と感じるものは、それを与えられる才能があるからこそ、なわけです。

 

寂しい子ども時代を過ごした人は、寂しさを知っています。

それがゆえに、他人の寂しさに共感し、寄り添うことができます。

居場所がないと感じながら生きてきた人は、その辛さを知っています。

だから、誰かの居場所をつくるということに関しては、素晴らしい能力を持っているわけです。

欲しいのに与えられなかったものは、あなたの与えるもの。

理解しがたいテーマですが、「才能」と絡む、非常に重要なテーマです。

 

あなたが欲しかったのに、与えられなかったものは、何でしょうか。

もしかしたらそれは、あなたが世界に与えられる、唯一無二の才能を示しているのかもしれません。

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