先日、中津川の知人の方からトウモロコシを送って頂きました。
絶品のトウモロコシをほうばりながら、ぼんやりと「受け取る」ということについて教えて頂きましたので、すこしそれについて綴ってみたいと思います。
中津川からトウモロコシが届いた。
一本茹でてそのままかじっただけなのに、
めちゃくちゃ甘い。
ほんで、ちょっとだけよ・・・って
バター熱したフライパンに
醤油をほんの少し垂らして、
ころころコロコロ転がす。
少し焦げ目がついたら、最強に美味い。
旬のものはなんでも美味しいけど、
このトウモロコシは別格だった。
御礼に同じくらい価値のあるものを、送らないと・・・
とか考えないようにしよう。
ただ、いまこのトウモロコシを味わうだけでいい。
ほんで、私は書くことが好きだから、
気が向いたら手紙を書こうと思う。
気が向かなければ、次に中津川に行ったときに伺おう。
好意を遠慮なく受け取る、というのは案外に難しいけれど、
自分が好意を送ったときに、相手がどんな反応をしたら嬉しいか、
をイメージしてみると、結構楽に受け取れるのかもしれないと教えてくれた、
立秋過ぎに中津川から届いたトウモロコシ。
どうもごちそうさまでした。
とっても美味しかったです。
2018.8.10
「与えること」と「受け取ること」については、以前こんな記事を綴らせて頂きました。
「与えること」は、実は「受け取ること」と同義です。
ということは、全力で「受け取ること」は相手に「与えること」と同じです。
何かを与えるということは、与えさせてもらうこと。
何かを受け取るということは、受け取ってあげること。
その「何か」の言葉のところに、トウモロコシを入れてもいいですし、愛情や感謝といったものを入れてもいいですよね。
けれどこれが「自己評価」が低かったり、あるいは「自立」をしすぎていると、なかなか受け取る」ことが難しくなってしまうのですね。
周りの人が全力で与えれくれたプレゼントを、
いえいえ、私のような者に、めっそうもない・・・
私なんかに、こんなにして頂いて申し訳ない・・・
といった具合に、受け取ることに抵抗や罪悪感を感じてしまったり、
あるいは、すべて自分でやらないといけない、
他人の助けを借りてはいけない、
といった「自立」に心が振れすぎていると、贈り物や仕事のヘルプの申し出とかを断りたくなってしまいます。
そうした状態だと、なかなかうまく循環していかないのですね。
次に自分が何かしようとしたときに躊躇してしまったりして、うまく与えられなかったり。
自分の周りの素敵な人の好意を、「ありがとう」と受け取るだけでいいのです。
自分が喜ぶことが、周りの人の喜びなのですから。
そして、自分にはその価値が十分にあるのですから。
それに、降参しましょう。
受け取ることは、与えること。
それは最も周りの喜ぶ与え方の一つなのかもしれません。
中津川からのトウモロコシも、全力でこの時期だけの甘みを味わって、楽しませて頂きました。
そして、その味を思い浮かべながら、トウモロコシをお贈り頂いた方に一枚の絵葉書を書いて送ってみました。
それを書いている時間は、とても楽しくて、与えることと受け取ることが循環していたように思います。
そんな風に、差し出されたものを受け取れたら、また世界は楽しくなるように思うのです。