ここのところ、少し感じている極私的なつれづれを。
私がこれまで生きてきた中で、やはり両親との別離というのが大きなウエイトを占めているのですね。
父親とは、21歳のときに。
母親とは、22歳のときに。
それぞれに今生の別れを経験しました。
それからずっと寂しいという感情に蓋をして、極度に自立してワーカホリックになってきました。
正しさにこだわり、誰にも頼らず、気づけば私の周りの世界はべっとりと重い空気に覆われ、色を失っていきました。
対人関係でどうにもならなくなって、ようやく人の手を借りることで、自分の心に向き合うようになりました。
私がここで書き続けるきっかけとなったブログ - 大嵜 直人のブログ
ようやく抑え込んできた「もう会えなくなって寂しい」という感情に気づいたとき、真夜中に2時間ほど嗚咽しました。
そこから少しずつ世界は色を取り戻していきました。
少しずつ、自分の心と向き合うようになりました。
自分が愛されてきたことを思い出すために、記憶とわずかに残っていたアルバムから、両親と訪れた場所を一つずつ訪れるようになりました。
先日の多度山もそうです。
今となっては遠い昔に、母親と訪れた場所でした。
去年訪れたときに、まるで私を先導してくれるように飛んでいた綺麗な虫がいたのですね。
後にSNSの友人の投稿から、「チョウトンボ」という羽根が七色に光るトンボだと知りました。
チョウトンボは待っているように木の葉に止まって、私が近づくとまた飛び去って。
それを繰り返していると、ふっと山の中に飛んで行ってしまいました。
まるで、「もう大丈夫だよね」と言われているような気がしました。
それが、先日一つの区切りとなるお墓参りに出かけようと家を出たときに、車の前に止まっていたのです。
離れた距離でしか撮れませんでしたが、黒い羽根のあの姿はチョウトンボでした。
去年の多度山以来見たこともなかった(正確には視界に入っても気づかなかったのかもしれません)チョウトンボが、なぜ今日という日に、私の車の前にいるのか。
不思議なものを感じざるを得ませんでした。
いつも、そばにいる。
いつか、また会える。
いつでも、会える。
きっと、いつでも見守られているのでしょう。
私がずっと欲しかったものは、そんな安心感とも呼べる感情なのかもしれません。
また、それがどうしたらもっと感じられるようになるのか、それを探すことが私の人生の旅なのかもしれません。
そんなことを感じた、お盆の多度山とお墓参りでした。