いつも書くときには一文字目に逡巡する。
だいぶ慣れてはきたのだが。
書かなければ、私にはどんな可能性もあるように思えるから。
開いた真っ白なページには、
人の心を癒し、感動させたはずの素晴らしい文章も、
どんな歴史上の文豪にも劣らない文章も、
どんな文章も書く可能性が、あった。
実際にやらなければ、想像の世界だったら、
人間、空だって飛べる。
実際にやらなければ、想像の中で、
サッカーの才能があったかもしれないし、
誰もが驚くような歌の才があったかもしれないし、
ベストセラー作家になったかもしれないし、
イベントは満員御礼になったかもしれないし、
意中の女性は私に惚れていたかもしれない。
実際に行動するということは、
そうした可能性を一つずつ潰していくことでもある。
動かなければ、その柵の外からだったら、
ライオンもキリンもゾウもフラミンゴも、
外から指差して見て、その首の長さや鼻の長さ、
その牙や羽根についてなんだかんだ言うことができた。
けれど、一文字でも書き始めたら、そうはいかない。
誰もがうらやむ才能や、称賛にあふれた素晴らしい文章は、一文字一文字と書いていくに従い、夢想したものと違う形になっていく。
柵が括っていたのは、ライオンでもキリンでもなくて、実は自分自身だったことに気づく。
夢想は確たる形の現実となり、
自惚れは絶望にとって代わられる。
書き始めたときにあったはずの素晴らしい材料は、いつしかばらばらになって私の前に無残な姿を晒している。
過ぎ去った時間と、現れた文字の数を見比べて、頭を掻く。
書かなければ、この材料で空だって飛べたのに。
書くこととは、まるで夢想の中にあった私の可能性を、一文字一文字と塗りつぶしていくようだ。
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それでも、また今日も私は逡巡して一文字目を書く。
空を飛ぶ蝶にはなれない。
けれど、
地を這う芋虫にはなれるかもしれない。
地を這ってでも、
たどり着きたい場所が、ある。
空を飛ぶ可能性を潰しても、
伝えたい言葉が、ある。