大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

生成系AIによって言葉がデフレを起こす時代に、何を書くべきか。

今日は、少しエッセイを。

「書くこと」について、とりとめもない内容になりますが、2023年の6月に私が考えたことを残しておこうと思います。

 

「生成系AI」が、世の中を席巻していますね。

昨年秋に登場した画像生成のAI、そして今年に入りChatGPTに代表されるような大規模言語モデルのAI。

いずれも、実に私たちの社会や世の中のありようを、大きく変えていくものだと感じます。

「きれいな画像」

「正しく、詳しい言語情報」

といったものの価値は、これまでと違ったものになっていくのでしょう。

誰でも、美しく綺麗な絵が描ける。

誰でも、大量に文章が書ける。

そんな魔法のような時代が、やってきているようです。

いわば、きれいな絵や言葉の価値が、デフレを起こしているようなものかもしれません。

事実、私の知人にも、AIによって生成された言語で、広告やアフィリエイトのためのブログを大量に生産することにチャレンジしていました。

検索エンジンにヒットさせようとするよりも、「どれかは当たる」という方が、効率がいいのかもしれません。

もちろん、やってみないことにはわからないのですが。

 

当然ながら、変化には葛藤がつきものです。

AIの弊害や危険性を訴える情報も、たくさん出てくるのでしょう。

けれども、おそらく時代の流れは変わらないように感じます。

誰もが簡単に長文を書けるようになり、言葉の価値がデフレを起こすことは、そう遠くないように思うのです。

そのとき、人は自ら「書くこと」に、どんな価値を見出すのかが、問われるように思います。

AIをどう使い、どうかかわるか。

特に、毎日こうして文章を書いている私にとっては、それは逃れられない問いのようです。

すでに、AIが司法試験の上位10%に入るほどになってきているように、ロジックや正確性、集められる情報の広さにおいては、もう人とAIは競うことはできないように思います。

では、叙情的な、エモーショナルな文章は、どうなんでしょうか。

AIは、人の「感情」を学び、書くことができるのか。

どうなんでしょうね。

難しいような気もしますが、できそうな気もします。

もしできるとするならば、人は何を書くべきなのでしょうか。

 

「何を書くべきか」というタイトルをつけておきながら、まだ結論が出ているわけでもありません笑

ぼんやりとですが、「あなたのために」という、一人に向けた言葉しか、残らないような気がします。

たとえば、手紙。

たとえば、ラブレター。

たとえば、お悩み相談。

一般論としての解決策が必要ならば、「あなたは心理カウンセラーです。こんな相談をクライアントがしてきたら、どう答えますか」と打ち込めば済むのでしょう。

その答えで満足できる人もいるかもしれませんが、満足できない人も、多いように思います。

一対一のコミュニケーション、そこでの言葉。

それを求める人は、いるように思うのです。

それは、どれだけ高性能なマッサージチェアが開発されたとしても、やっぱりフィーリングの合うセラピストの手でするリラクゼーションにはかなわないのと、同じことかもしれません。

 

ただ、そのニーズにも、AIはきっと答えていくようにも思います。

おそらくは、AIが人格を獲得して、「その人格を持ったAIに回答してほしい」という欲求も、生まれることでしょう。

たとえば、あるアイドルの人格を持ったAIとコミュニケーションができるとしたら…

そのAIの言葉を、欲しますよね。きっと。

そうなると、私自身が何を考え、何に価値を見て、そして何を大切にしているのか。

そうした人間力を、磨いていくしかないようにも思います。

なんだかんだと書いておきながら、ありきたりな結論にはなってしまいました笑

AIに学びながら、これからも言葉と、そして自分自身と向き合っていきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。