犬山市にある「博物館明治村」を子どもたちと訪れた。
以前にこちらのエントリーで書かせて頂いたが、そこからすると2年ぶりということになる。
犬山市はこの明治村以外にも、国宝犬山城やその城下町、野外民族博物館 リトルワールド、日本モンキーパーク、先日訪れたお菓子の城など、子どもの心を満たす施設が多い。
愛知県下の小学校に通っていると、遠足などで必ず犬山市を訪れるような気がする。
「入鹿池」を臨む。
国内最大級の貯水量を持つ農業用ため池で、平成27年に「世界かんがい施設遺産」に登録されたそうだ。
もうすぐ大寒という最も寒い時期だが、この日は風もなく園外では貸ボートでにぎわっていた。
何といっても最初にSLを見に。
息子氏もこれが目当て。
白煙を吐きながら駅に近づく姿に、胸が躍る。
雄大な車体、軋む車輪、力強い警笛、
噴き出す白煙は千変万化しつつ、つかの間に霧と消える。
6歳児も38歳児も、目をキラキラさせてあこがれる。
単線なので、折り返し運転のために方向転換作業中。
この車体は1912年にアメリカで製造されたものだそう。
100年の歳月を越えて走る車体に、ロマンを感じずにはいられない。
乗り物紀行、次は京都市電。
こちらも実際に京都市内で走っていた車両が村内を走っている。
今の地下鉄やバスに比べると、小さな車体に感じる。
明治の薫りを感じながら、その揺れに身を任せる。
重要文化財の「品川灯台」。
東京の港区品川に1870年に設置された洋式灯台。
これ以外にも、村内にはいたるところに重文が存在している。
現存する国内最古の洋式灯台だそうだ。
150年近く前、この灯台の光を目指し多くの船が東京湾を行き交ったのだろう。
特別展示の「名電1号形」。
明治40年代まで名古屋電気鉄道(現・名鉄)が名古屋市内で使っていた車両。
その後、札幌で市電として使われていたものが展示されてる。
こちらも重文の「札幌電話交換局」。
明治期の重厚な雰囲気を感じる。
電話交換、という今では失われた仕事に想いを馳せる。
私の祖父あたりが生きた時代には確実にあったと思うが、平成も終わる現在においてはその仕事はもう存在しない。
テクノロジーの進歩によって人の仕事は変わってきと思うと、感慨深い。
おそらくこれからも、それは変わらないどころかどんどん加速していくのだろう。
街のいたるところで、こうした明治を感じさせる演出が。
明治、文明開化、ハイカラ・・・そんな言葉を味わいながら。
ぶらり、村内2丁目の「京甘味処 なか井茶寮」さんへ。
お正月飾りが飾られていた。
風がなく暖かいとはいっても、それでも大寒も近い冬の日。
ぜんざいで温まりつつ、甘欲を満たす。
断酒は継続中だが、こういうところに来ると一杯ひっかけて身体を温めたくなる。
週末の夜よりも、こういう日の昼間の方がアルコールに惹かれるようになったのは、変化なのだろうか。
そんなことを考えていると、店舗の中では明治期の店内を再現していた。
棚帳や炬燵、そして庵のある風景。
将棋盤と日本酒、お椀・・・素晴らしい組み合わせ。
この内装を飾った方のセンスに脱帽。
村内では貴重な明治期の産業機械の展示も。
息子も「何をする機械なの?」と興味津々。
明治期の日本の主力産業であった、紡績産業を支えた機械たち。
その後、自動車、半導体といった工業機械に産業に移り変わっていった。
地元の超大企業・トヨタ自動車も、その興りは織機産業からだった。
この先はどんな変化が待っているのだろう。
金沢の収監所の門などがあったり。
重文で三重県伊勢市にあった「宇治山田郵便局舎」。
ここでは10年後に指定の住所に発送してくれる「はあとふるレター」という、タイムカプセルのようなサービスを取り扱っている。
2年前に訪れたときに投函したが、まだあと8年もあると思うと感慨深い。
東京は千代田区にあった、帝国ホテル中央玄関。
明治期の著名な建築家であったフランク・ロイド・ライト設計。
美術か何かの教科書で見た気がするが、あれは何の教科書だったのだろうか。
それにしても、どうやって移築したのか、見るたびにその労力に脱帽する。
帰り際、犬山の空にはあまり見かけない形の雲が一面に浮かんでいた。
まだらな形の雲を見上げながら、この明治村を愛した亡き父の仕事を想う。
今日ここに来れてよかった。
そして、またここに来ようと思った。