最後にたどり着くのは、最も愛しにくい自分自身の闇を許し愛することに他ならない。
どんなに否定しようとも、自分の外に嫌うものは、自分が喪失してずっと探している自らのカケラ。
悩み深き生は、愛の深さゆえ。
愛されるためにつくりだした仮面の、その下の素顔に光をあてる旅を楽しめばいい。
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人に何かを伝えたとき、不思議なくらいにうまく言えたと思ったとき。
その内容は、そのまま自分自身に言っていたことに気づく。
子どもを叱ったその内容が、そっくりそのまま自分にもあてはまったり、
恋愛相談へのアドバイスが自分に向けての言葉だったり、
上司に対する不平不満が、自分の中にもあると気づいたり、
パートナーに向けて偉そうに言ったことが、まさに今の自分だったり・・・
それらは気づいた瞬間にブラジルあたりまで穴を掘って入りたくなるくらい恥ずかしいのだが、よくよくやってしまう。
目の前に現れる人は、いつだって自分自身だ。
だとするなら、やるべきことはいつも分かりやすくそこに転がっている。
いつでも目の前にいる人に対して話した言葉を、自分自身への言葉にしてみればいいだけなのだ。
そして、自分が絶対に認められなくて、蛇蝎のごとく忌み嫌い、生理的な嫌悪感と吐き気を覚え、最も近寄りたくもない、あの人こそが、
実は自分が密かにそうだと信じているけれど、まだ受け入れられていない自分のカケラ。
そのカケラは、いまもまだ一つに戻ることを願いながら、禁断の扉の向こうであなたを待っている。
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傷ついた人ほど、器用に仮面を被って、己が般若の面を隠して生きる。
その傷は、親だったり家族だったり、あるいは初めて心が惹かれた人だったり、そんな近しく大切な人に「愛されなかった」経験と言い換えられる。
自分の感覚を押し殺して、したい表情や言いたいことを抑え、その大切な人たちに「愛されるための」選択をする。
その選択を積み重ねた結果、どれだけ社会の中で評価や称賛され、友人に囲まれて、パートナーや家族から愛を伝えられたとしても、満たされない。
むしろ渇きは色濃くなり、蜃気楼の揺れる砂漠の真っただ中でさまよう旅人のようだ。
あなたはいつもみんなのために頑張っているわね、
誰にも真似できないすごいことをしてるのよ、
今日もとっても綺麗で魅力的だよ、
心の底から愛しているよ・・・
何度言われたところで、空っぽになった水筒をさかさまにして、ようやくしたたり落ちる雫ほどにも渇きを満たさない。
自分じゃない仮面をつけて歩いている分、足取りは重く苦しい。
いつも、自分が何をしたいのかが分からないし、
誰かのために犠牲をして生きていることすら気づけないし、
自分が何で生きているのか分からなくなるくらい、
その足取りは重くて辛い。
症状が進むと、その渇きすらも分からなくなって、無数の砂の大海のなかで旅人の足取りは止まり、心折れて力尽きそうになる。
猛毒を持つサソリか、すべてを無に還す巨大な砂嵐か、ぎらつく太陽か、底をついた食糧か・・・仮面を被る旅人の道はいよいよ困難を迎える。
己が内なる心身も、外にある環境も、困難が重なり行き詰まりを見せたとき、人は己が生き方、在り方の話にたどり着く。
現実面で言えば、金銭問題、心身の不調、身近な人の喪失、仕事の上の失敗、葛藤、そしてパートナーや親しい人との関係の破綻。
すなわち、苦難は旅人に問いを与えてくれる。
この旅は、どこへ向かうのか?
いったい何のために歩くのか?
仕事とは、成功とは、男とは、お金とは、パートナーとは、死とは、生とは・・・?
己が大切なものは何なのか?
何のために、己が生は与えられたのか?
旅人は、はじめてそこで眼前に広がる砂漠から、己が内なる大海の底に潜っていく。
外れなくなってしまった、仮面の下にある素顔を探して。
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旅の最果ての、どん詰まりのその状況において、旅人の前に最も強大な敵が現れる。
毒サソリよりも猛毒を持ち、砂嵐よりも暴力的で、喉の渇きよりも耐え難い、その敵。
すなわち、己が最も忌み嫌い、受け入れられない、あの人。
話している姿を見るだけで虫酸が走り、嫌悪感を覚える、あの人。
天地がひっくり返っても許すことのできない、あの人。
ところが、その人は天敵でありながら、福音を鳴らすラッパも持っている。
すなわち、旅人の重い重い仮面を外すことのできる福音を鳴らす、ラッパを。
「わたしが最も嫌いなあの人こそが、実はわたしの仮面を外す鍵を握っている」というこのにわかには受け入れがたい事実は、己の内なる大海の、最も不思議で因果なところだ。
パートナーの浮気を解消させる鍵は、まさに不倶戴天であるパートナーの浮気相手こそが持っているように、
裏の裏は、ただの表だったりする。
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穏やかで冷静な仮面を被っていた人には、怒りをまき散らすあの天敵があらわれる。
仮面の下には情熱的に生きる「わたし」がいるから。
競争が嫌いな仮面を被っていた人には、売上とお金にこだわるあの天敵が目につく。
ほんとは誰よりも負けず嫌いな「わたし」の鍵を持っているから。
真面目に生きてきた人には、すぐサボって怠けるあの人が許せない。
誰よりも人生を緩んで楽しみたいのが「わたし」だから。
誰にも頼らない鉄仮面の人ほど、誰にでも媚びるあの人を嫌う。
それは、もっと愛されたいという「わたし」の気持ちを抱きしめるために。
進歩と成長を大切にする人ほど、平凡な毎日を送る人を批判したくなる。
いまここにある幸せをすくい取ることのできる「わたし」に気づくために。
平等を大切にする人ほど、えこひいきする人に虫酸が走る。
誰かを特別に愛することのできる「わたし」の鍵が見えるから。
美を語る人ほど、美に疎いあの人を嫌う。
己の最低の醜さを受け入れることが、「わたし」の美しさを際立てるから。
愛に生きる人ほど、臆病なあの人を受け入れ難い。
怖れを抱きながら生きる人にも愛を与えられる「わたし」になるために。
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蛇蝎のごとく忌み嫌っていた誰かの資質を、
実は己こそが最も色濃く持っていると知れたとき、
仮面と素顔の統合が起こる。
仮面の下の素顔こそが、ほんとうの「わたし」、というわけではない。
どちらも、ほんとうの「わたし」。
どちらも、たいせつな「わたし」の極。
それに気づいたとき、旅人はすべてのものごとに意味はなく、「ただ在る」だけだと知る。
同時に、般若のごとき己すらもあるがままでいいと受け入れられる。
仮面の下の素顔にもスポットライトが当たったとき、魂は震え、すべてが許される。
ほんとうのところ、
誰よりもその素顔の価値を知っているのは、
だれでもない、
わたし自身なのだから。
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仮面を被ったときの傷。
その傷をつくった、
大切な人から「愛されなかった」という記憶。
その「あの人から愛されなかった」とは、
「あの人を助けられなかった」と
言い換えられるのかもしれない。
もっと、あの大切な人たちに、笑顔でいて欲しかった。
あの大切な人たちを、笑顔にしたかった。
その想いは、愛の深さだ。
その深さだけ、
厚い仮面を被ってしまっただけなのかもしれない。
けれど、その愛が深い分だけ、
わたしたちは世界とつながれる。
助けてあげたかったという想いは、
かたちを変えていつか届く。
ときにつけたり外したりしながら、
仮面も素顔も愛してあげよう。
いつか旅人のその身が朽ち果てて、
大海のような砂と混じりあう、そのときまで。