苦手な人が多いと思われる「怒り」。
その奥底には、別の感情が隠されています。
それは、普段見ないようにしている感情かもしれませんが、その感情と向き合うことができると、癒しがもたらされるようです。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.怒りはつねに、別の感情を隠している
あなたの怒りの奥には、より深い感情が隠されています。
それは悲しみや喪失感、傷ついた痛み、拒絶感や復讐心かもしれません。
あるいは罪悪感、犠牲、欲求不満や絶望感、または何かの主導権争いでしょうか。
もしかするともう生きている感じさえしなくて、少し怒ってみれば何かが変わるかもしれない、と思っているのかもしれません。
激怒も、無力感や屈辱感や無念さなど、何らかの感情を隠しています。
激怒が呼び起こされるのは、自分のとくに大きな傷や嫉妬、孤独感、燃えつき感などにふれそうになったときです。
怒りを爆発させて、それらを感じないですむように身を守るのです。
ときおり、怒りを通りぬける近道は自分自身にたずねてみることです。
「この奥に、いったいどんな感情があるのだろう」と、怒りの奥にあるものを感じていけば、怒りそのものはすぐに消えてしまうはずです。
そして、怒りを防衛として使っていた、より深い自分の感情にふれていくことができるのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.172
2.「怒りは感情のフタ」
今日のテーマは、「怒り」についてです。
私も苦手ですねぇ…怒るのも、怒られるのもイヤなものです。
そんな「怒り」ですが、心理の中では実に深い意味を持っているようです。
「怒り」とは感情か?
近年、「アンガーマネジメント」という言葉などが、注目されていますね。
私は詳しくないのですが、「6秒ルール」など、「怒り」とうまく付き合うための方法もよく耳にします。
それが注目されるのは、やはり多くの人が自分の「怒り」との付き合い方に、頭を悩ませているということなのかもしれません。
さて、そんな「怒り」ですが、心理学では「怒りは感情のフタ」という格言があります。
あなたの怒りの奥には、より深い感情が隠されています。
引用文にもある通り、「怒り」の奥には、違う感情が隠れている、という見方です。
そして、その感情を感じたくないとき、見たくないときに、私たちは「怒り」を使って防衛します。
そんな性質があるわけですから、
「怒り」は、感情ではない
「怒り」とは二次感情
といった説も、よく聞きます。
いずれにせよ、「怒り」の奥には隠しておきたい感情がある、という視点は、非常に重要です。
その奥には、どんな感情があるの?
「怒り」の奥にある感情。
それは、その人、その時々によって、違うものだと思います。
いくつかの、具体的な例を考えてみましょうか。
授業中に、窓の外の雲を眺めたてたら、先生に当てられてしまった。
答えられず、「いつもボンヤリしてるな」と言われ、みんなに笑われた。
それに、腹が立ってしょうがない。
さて、どうでしょうか。
そうですよね、恥ずかしかった、という感情がありそうですね。
それを隠すために、「怒り」を感じた。
では、こんなのは、どうでしょうか。
いつも仕事をがんばっていた私。
周りの人の仕事も、嫌な顔せずに手伝ったりしてきた。
そんな私が、新しいプロジェクトでいっぱいいっぱいになってきた。
意を決して、周りに手を借りようと声をかけたら、「いま、こっちも忙しいんだよね」と断られてしまい、激しい怒りを覚えた。
あるあるなケースかもしれません。
この「怒り」の裏側にあるのは、どんな感情でしょうか。
私は助けてあげたのに、という悔しさ。
見捨てられた、という無価値感。
自分だけバカみたい、という悲しみ。
あるいはもしかしたら、「あなたも忙しいのに、助けてあげられなくてごめんなさい」という罪悪感かもしれません。
「怒り」に隠されて、いろんな感情がありそうですよね。
ささいなことでケンカをして、少し連絡を取っていなかった彼女。
友だちづたいに、彼女が体調を崩していることを聞いた。
「大丈夫?」とメッセージを軽く送ってみたところ、既読にはなったものの、返事が無い。
「なんだよ、それ!」と怒れて、不愉快だ。
妙にリアリティがあるのは、なぜだろう?という深読みをしてはいけません笑
それはさておき、このケースはいかがでしょう。
こちらから折れたのに、無視されて悲しい。
返信がなくて、寂しい。
心配している。
元気でいてほしい。
そんな感情が、あるのかもしれません。
いくつかの実体験…ではなくて、たとえ話を見てきましたが、いかがでしょうか。
「怒り」の奥には、深い感情が隠れている。
「この奥に、いったいどんな感情があるのだろう」と、怒りの奥にあるものを感じていけば、怒りそのものはすぐに消えてしまうはずです。
もし、「怒り」を感じたときに、思い出してほしい視点です。
あ、でも、ほんとうにカッときたときは、そんなこと考える余裕なんて、ないものですよね笑
少し冷静になってからでもいいので、考えてみると、またその「怒り」が違って見えるのかもしれません。
感情は、逃げませんから。
3.「怒り」は、癒しへのサイン
感情を感じることは、癒しである
「怒り」の底には、別の深い感情が隠れている。
だとするなら、「怒り」を感じたときは、その底にある感情を感じるチャンスでもある、ととらえることもできます。
はい、「怒り」自体が、イヤなものですけれどね…
けれども、「怒り」を感じるとき。
人は、普段は見たくないと目を逸らしていた感情に、触れそうになったときです。
恥ずかしさ。悔しさ。無価値感。悲しみ。寂しさ。
そういった、普段は見たくないと、フタをしていた感情たち。
そうしたものを、感じそうになると、「怒り」を強く感じるようです。
「怒り」は防衛である、と言われるように、そうした感情は怖いですし、遠ざけておきたいものです。
しかし、感情は感じることでしか、なくなりません。
「怒り」の奥にある、そうした感情と、勇気を出して向き合うことができると、その感情は昇華していきます。
感情を感じることは、最も偉大な「癒し」である、とも言われます。
そうだとするなら、「怒り」を感じたときは、実は「癒し」にも近い位置にいるのかもしれません。
その感情は、いつのものだろう?
「怒り」と向き合うことによって、浮かび上がってくる感情。
それは、その時に感じたように見えて、実は過去に感じたものであることもあります。
たとえば、先ほどの「彼女から既読スルー」の例でいうところの、「寂しさ」という感情があったとして。
その「寂しさ」と同じような感情を、過去に感じたケースがあった、ということがあります。
そのときに、その「寂しさ」を感じることが、あまりにも怖くて、あまりにも嫌で、その「寂しさ」を感じないようにしてしまった。
その「寂しさ」を、再び感じさせるような場面が現れると、激しい「怒り」を覚える。
そんな見方をすることもできます。
だから、カウンセリングでは、「過去に同じように『寂しい』というような経験をされたことは、ありますでしょうか?」と伺うこともあります。
感情は、自分が感じることでしか解消されません。
しかし、感情を感じつくすと、ほっとして肩の荷が下りたようになり、張り詰めていたものがゆるみ、心にスペースができます。
そうすると、怒っていた相手や出来事に対しての見方を、変えることができるようになったりします。
「みんなに笑われるってことは、人気者だったんじゃないか」
「あの人も、本当に忙しくて辛かったのかもな」
「ケンカしてたのに、心配されるのが申し訳なかったのかな」
…などなど。
もちろん、それが事実かどうかは分かりません。
けれども、「そうかもしれない」と、ものごとの解釈に選択肢を与えることは、私たちの心を本当に軽くしてくれます。
「怒り」から、話が少し遠くに来てしまいました。
少し、おさらいしておきましょう。
「怒り」は感情のフタであり、その下に深い感情を隠している。
その感情は、普段は目を逸らしている、見たくない感情であるため、それを感じさせる場面には強い「怒り」を覚える。
しかし、その感情と向き合うことができると、癒しという恩恵が待っているようです。
「怒り」とは、私も苦手でイヤなものです。
しかし、癒しのチャンスでもある、と思うと、少しその見方が変わるかもしれません。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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