「寂しさ」とは、私たちにとって最も古い感情の一つであり、また最も嫌う感情でもあります。
そうした「寂しさ」がもたらす問題と、その癒し方のヒントについてお伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.すべての問題は「へだたり」から生まれる
問題はただひとつしかありません。
そしてその問題が、すべての問題をつくりだすのです。
その問題とは、人と十分につながっていないという感覚です。
つながりの欠如から怖れの感情が生まれ、その結果、共通の利益ではなく、別々の利害や対立を生みだすのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.453
2.へだたり、分離感がもたらす「寂しさ」
今日のテーマは、「へだたり」、「孤立感」、あるいは「分離感」でしょうか。
そして、それらがもたらす「寂しさ」という感情。
つながりや親密感と対をなす、これらの心理について考えてみたいと思います。
「寂しさ」という原初体験
「へだたり」や「分離感」、あるいは「孤立感」といったものは、私たちに「寂しさ」という感情となってあらわれます。
誰かとつながっていない、つながりが切れてしまったと感じることが、「寂しさ」であり、それは私たちが最も嫌う感情の一つです。
今日の引用文に「すべての問題をへだたりがつくりだす」と書いている通りです。
しかし一方で、「寂しさ」とは、私たちにとって最も古い感情とも言われます。
人は、生まれてきた瞬間に、「寂しさ」という感情を抱くとされます。
一説によると、へその緒を切られた瞬間に、「寂しさ」という感情が出てくるともいわれます。
安全で、居心地のよかった母親の胎内を出て、母親とのつながりの象徴であるへその緒を切らることは、私たちにとって孤独や分離を感じさせる体験なのでしょう。
私たちが最も避けたい感情でありながら、私たちにとって最も古い感情。
それが「寂しさ」のようです。
「寂しさ」を忘れるために、攻撃的になる
さて、そうした「寂しさ」ですが、私たちはそれを強烈に嫌うがゆえに、それをかんじそうになると何とかそれを防ごうとします。
今日の引用文にもあるように、それがさまざまな問題をつくりだします。
代表的なのは、「へだたり」、あるいは「寂しさ」を感じたくないがゆえに、攻撃的になることです。
これが周りに対して出ると、直接的に攻撃的な言動になったりもしますし、あるいは「嫉妬」という感情であらわれたりもします。
「どうしてこの人は、こんなにも攻撃的なふるまいなんだろうか」
そんなふうに感じる人が、もし近くにいたら。
もしかしたらその人は、強烈な「寂しさ」を怖れているのかもしれません。
そして、その攻撃性が自分に向くと、自己否定になったり、あるいは「寂しさ」を紛らわせることのできる刺激物に依存したりします。
「私は誰にも必要とされない」といった感情を抱いたり、あるいはお酒、恋愛、セックス、買い物、仕事といった刺激物にどっぷりと浸ってしまう感じですね。
これは、割と想像しやすいのではないでしょうか。
寂しさから、アルコールに逃げたり、あるいは依存的な恋愛や身体の関係にはまってしまったり。
何か刺激物が必要な人は、それだけ「寂しさ」を強烈に抱えていると見ることができます。
私の場合は、仕事でした。
やはり、両親との離別があってから、強烈な「寂しさ」を抱えてきました。
自分ではその「寂しさ」を感じたくないから、自覚がないくらいでしたけれども。
そのぽっかりとした空虚な感じを埋めるために、ワーカホリックに働いておりました。
そして、時にお酒になぐさめてもらったりもしてきました。
それで「寂しさ」が紛らわせることができているうちはよかったのですが、だんだんとそうもいかなくなっていきました。
自己否定や、あるいは周りとの関係における葛藤がのっぴきならなくなって、カウンセリングと出会い、心理学を知りました。
そうした意味では、私にとって「寂しさ」とは、ある意味でカウンセラーとしての原点なのかもしれません。
3.つながりがないのではなく、忘れているだけ
つながりが無いのではなく、忘れているだけ
「寂しさ」の心理、そしてそれがもたらす問題について、少し触れてきました。
では、どうしたら、「寂しさ」から抜け出し、「つながり」を感じられることができるのでしょうか。
一つ大事な視点は、「つながり」がないのではなく、「もともとつながっていた」、ということです。
新たに「つながり」をつくるのではなく、つながっていたことを「思い出す」ともいえるでしょうか。
先ほど、「寂しさ」とは生まれてきた瞬間にうまれる、と書きました。
そうなんです、私たちは誰もが、もともとつながっていたんです。
それを、忘れているだけ。
あるいは、それを見ないようにしていただけ。
私も、あなたも。
もともと、つながっていた。
もうすでに、つながっている。
だた、それを、思い出すだけ。
そんな見方をすると、少し肩の力が下りるのではないでしょうか。
「自分から」愛を与え、そして受けとる
その視点をお伝えした上で、「つながり」を感じるためには、という点をお伝えしたいと思います。
それは、「自分から愛を与え、そして相手からの愛を受けとる」、ことです。
「なーんだ、当たり前のことじゃんか。何をもったいぶって」と、思われましたでしょうか笑
そうなんです、当たり前のことなんです。
けれども、「寂しさ」や孤独感、分離感、へだたりを感じているとき、私たちはその当たり前のことを、忘れてしまいます。
そして、大切なのは、「自分から」という部分です。
まず自分から与える、というのが、とても大切なポイントなんですよね。
「寂しさ」にまみれているとき、私たちは自分から勝手につながりを切ってしまっています。
それゆえ、周りからどれだけたくさんの愛を与えられても、受け取り拒否をしてしまったり、それが愛だと気づかなかったりします。
はい、私もよくこの「寂しさ」の罠に、よく嵌ります笑
それを「受けとろう」といっても、なかなか難しいものです。
だから、まずは「自分から」愛を与える。
自分から、架け橋をかける。
愛を与えるとは、何も大それたことではありません。
相手のことを想い、相手が喜ぶために、自分のできることをする。
それは、その人その人の個性やパーソナリティが表れるものです。
また、それを考えること自体が、私たちの心に「つながり」を思い出させてくれます。
そうすることによって、少しずつ受け取れるものが変わってきます。
与える、受けとる。
この循環こそが、「つながり」であり、そして「寂しさ」を忘れさせてくれるものです。
「そんなこと言ったって、孤独だから、誰かとつながるのが怖いんだよ」
もしかしたら、そんな風に思われるかもしれません。
そんなときは、まず自分に愛を与えてみてはいかがでしょうか。
自分が喜ぶこと、自分が笑顔になれること。
それは何かを考え、できることをしてみる。
自分との、つながりを思い出す。
それは、究極的な意味での、「寂しさ」の癒し方といえるのかもしれません。
今日は、いろんな問題をつくりだす「寂しさ」の心理と、その癒し方についてお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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