名古屋市西区は那古野にある、円頓寺商店街を久しぶりに訪れた。
分厚い雲からは、大粒の雨が降り続いていた。
今週には関東方面も梅雨明けすると聞いたが、まったくその気配は感じられない。
それどころか、7月の名古屋のうだるような湿気に、全身の汗腺が開いたように感じた。
アーケードの下に入り、傘を閉じて一息つく。
夕方訪れたせいか、店じまいをしている衣料店や喫茶店と、これから営業という飲食店や居酒屋が暖簾を掲げたりしている。
いい雰囲気の街だな、と思う。
近年はフランスの商店街と提携して、フランスにちなんだイベントを開催して、旧知のお店が出店していたりするのを聞いていたが、実際に足を運ぶのは久しぶりだった。
何年ぶりだろうか、と考えていると、角のスポーツ用品店に目が留まった。
店内に所狭しと並べられたスポーツウェア、そしてそれに飽き足らず通路にまで並べられたスポーツシューズ。
私の心は、25年前に飛んでいた。
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中学生の時分に、このスポーツ用品店に何度か来た。
私は、名古屋駅から赤い電車に30分ほど揺られた先の街で暮らしていた。
その時代の、その地方都市の中学生からすると「名古屋に行く」とは、なかなかテンションの上がるイベントだったように思う。
それも親とではなく、「友達と名古屋へ行く」となると、これは年に何度もない、ビッグイベントだったのだろう。
その円頓寺商店街にあるスポーツ用品店が安い、という情報を仕入れた友達に従い、5,6人の中学生だけで冒険の旅に出た。
むろん、インターネットなどない時代のこと、地元の駅前のスポーツ用品店とどれくらい価格差があるのかどうかなど、分かりはしない。
それでも、なぜか私たちは「安い」という確信めいた想いとともに、休みの日に赤い電車に揺られた。
内向的だった私のこと、そうしたイベントに誘ってもらえるだけでも嬉しかったように思う。
スマホなどもない時代、地図を片手に名古屋駅から歩いたのだろう。
不惑も近くなった今となっては雑多に感じる、そのスポーツ用品店の店内に並べられた商品の多さ、そして店内の混雑に「大都市・名古屋」を感じて、おのぼりさんの中学生たちは高揚した。
たくさん並ぶサッカーの人気のクラブチームのウエアに心躍らせ、最新型のスパイクを眺めて、ずいぶんと長い時間を過ごしたが、結局買ったのはスポーツタオルの一枚だったように思う。
地元に比べて安いかどうかなんて、分かりはしないし、まして電車賃も入れれてしまえば、何のこともない。
けれども、テイクアウトのお好み焼きを片手に歩く帰り道は、楽しかった。
当時、100円玉でお釣りがくるくらいの価格だったような記憶があるが、定かではない。
アーケードを叩く雨の音が一層大きくなったのを聞いて、私は我に返った。
その記憶を頼りにお好み焼きのテイクアウト店を探して、少し歩いてみたが、やはり見当たらなかった。
「10年ひと昔」というが、私の記憶の中は「ふたつ半くらい昔」のことなのだ。
あのスポーツ用品店が残っていることが、奇跡に近いのだろう。
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地名を聞くだけで、その土地を訪れたり、過ごしたりした風景が思い浮かぶことがある。
ふたたび訪れると、そのときの情感がありありと甦る。
記憶というのは、感情と結びついているらしい。
そしてその感情は、その時間を過ごした土地と結びつくのだろう。
その情感は、年を経るごとに熟成され、その土地で開封されるのを待っているのかもしれない。
津島。星ヶ丘。新丸子。仙台。中村公園。松阪。葉山。日吉。熊野。軽井沢。中津川。北浜。伊勢。祐天寺。宮津。松本。神楽坂。京都。金沢。札幌。高崎…
休みなしに喋っているような雨の音を聴きながら、私はかの土地で熟成されているであろう情感を想った。
梅雨明けは、やはりまだらしい。