映画館で観る映画は、ある種の特別な体験のように思います。
大きなスクリーンで映像作品を観るというのは、他にはない情感を与えてくれます。
受動的であり、パーソナルな体験であり、どこまでも一人で楽しむものではあるのですが。
それでも、誰かと一緒に、映画館で同じ映画を観るというのは、特別な体験のように思います。
スマートフォンで手軽に動画が見られるようになり、現実と変わらないようなVRの世界に没頭することができるようになりましたが、「映画」というエンターテイメントは残っていくのでしょうか。
思い出すのは、父に連れられて行った映画館のことでしょうか。
かの有名な怪獣「ゴジラ」のシリーズで、「ゴジラ対ビオランテ」という映画でした。
調べてみたら、公開が1989年とありましたので、私が9歳か、10歳くらいの年だったのでしょう。
それよりも前に、映画に連れて行ってもらったことはあるのかもしれませんが、この映画のことを、よく覚えています。
「この映画が観たい」と言って、父に連れて行ってもらった記憶があります。
いまは、私の故郷にも映画館ができたようですが、当時は名古屋駅まで行かないと、ありませんでした。
ネットもなかった時代のこと、新聞の広告欄で上映時間を調べたものでした。
ワクワクしながら、赤い電車に揺られて、名古屋駅まで父と出かけた気がします。
ワーカホリックに働いていた父でしたので、そんな時間があることが珍しく、嬉しかったことを覚えています。
何で「ゴジラ」の映画の情報を仕入れたのかは、もう覚えていないですが。
「ゴジラの映画が観たい」と父に言い、連れて行ってもらったように思います。
そして、その行きの電車の中、私は得意げに「ゴジラ」の知識を、父に披露していたことを覚えています。
ゴジラは、もとは恐竜なんだよ。
核実験の影響で、その恐竜が巨大化したんだ。
今度のゴジラの相手は、植物の怪獣なんだよ。
どんな想いで、父はそれを聞いてくれていたのでしょうか。
その映画館は、名古屋駅の地下街にありました。
入口から少し薄暗くて、それがどこかアンダーグラウンドな雰囲気で、大人への階段を登るように、ドキドキしたように思います。
その雰囲気が好きで、その後よく一人で通ったものでした。
次の公開作品のポスター。
ポップコーンと飲料の売り場。
観客がつくる、上映前の高揚感。
そんなものを、子ども心に感じていました。
映画っていいな、と。
初めて大きなスクリーンで観る映画は、圧倒的で。
巨大なゴジラが、熱線を吐いて街を破壊したり。
そのゴジラに、自衛隊が立ち向かったり。
植物の怪獣・ビオランテとゴジラの対決があったり。
小さな私は、映画というエンタメに圧倒されっぱなしでした。
上映終了後、その余韻に浸っていたくて、パンフレットを父にせびって買ってもらいました。
帰りの電車のなか、何度も読み返したものでした。
それがきっかけなのか、近くのレンタルビデオ店で「ゴジラ」シリーズをたくさん借りて、観ていました。
その後すぐに、父は単身赴任で家を離れてしまい、一緒に映画を観に行くこともなくなってしまいました。
一人遊びが好きな私のこと、映画は貴重な楽しみとなり、一人でいろんな映画を観に行ったものでした。
あの、薄暗い地下の映画館にも、一人で入れるようになりました。
名作を一人で観るのも、いいのですが。
父と一緒に観た映画の時間は、やはり特別なものでした。
父も、「ゴジラ」の映画を楽しんでくれていたのでしょうか。
貴重な休みを潰してしまったのではないかと、思ったりもするのです。
それでも、父と観た「ゴジラ」は懐かしく、私の中で特別な映画の一つなのです。