久しぶりに通る街道は、お盆のせいか以前の記憶よりも空いていた。
どうもお盆という時期は、夏の「終わりの始まり」と重なるせいか、感傷的になってしまう。
目印となる建物もあるけれど、ここは通るたびに、少しずつ建物が変わっているように感じる。
されど、移り変わる前の景色の記憶も不確かで思い出せず、時の流れというのはこういうものか、と妙に一人納得する。
境内は、私の他に二組が墓参に来ていた。
手水社で手を洗う。
息子は昔から、この吐水口の飾りを「ドンゴラさん」と呼んでいる。
「ドラゴン」ですらないのだが、それもまたかわいいものだ。
境内に入り、手桶に水を汲む。
手桶に流れ落ちる水の音が、なぜか心地よかった。
今日も暑い日になると思い、日除けの帽子をかぶって来たが、急に厚い雲が空を覆い始めた。
ありがたい。
少し、ゆっくりしていけと言われているのかもしれない。
例年、着いたそばから私に求愛してくるヤブ蚊も、今年は少ないように感じる。
少しゆっくりと、墓石を磨く。
少し、苔のような緑色が見えるようになってきた。
50年という歳月の重なりを想う。
ロウソクに火を灯し、線香を焚いて、静かに手を合わせた。
ほおずきの橙色が、妙に鮮やかだった。
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本堂に上がってお参りをすると、墓参客用に冷たいお茶とお菓子が用意されていた。
遠慮することなく、一服つかせていただいてると、住職の奥様がお越しになった。
挨拶を交わし、お茶の御礼を申し上げていると、息子が「このお寺はいつから建ってるの?」と聞いていた。
そういえば、古いとは思っていたが、私も詳しい話は聞いたことがなかった。
1600年ごろにこの土地で、お寺が始まったのよ、と奥様は仰った。
それ以前は、別の宗派の建物が建ってたのよ、とも。
川沿いのこの土地は、古くから交通と物流の要衝で、人が多く集まる土地だったらしい。
1600年というと、江戸時代も初期の初期。
家康が統一した全国を治めるために、そして領民の把握の利便性のために、「菩提寺」の制度を取り入れたと聞いたことがあるが、時期的にそれと関係があるのだろうか。
それはともかく、そこからお寺は400年以上の歴史を積み重ねきたことになる。
その後、明治期の濃尾地震でお堂は全壊してしまったが、当時の檀家の力によって再建したとも仰っていた。
そこから考えたとしても、悠に100年以上。
100年という分かりやすい単位が出たことで、息子は満足げに頷いていた。
このお堂も、明治、大正、昭和、平成、令和と五つの激動の時代の空気を吸ってきたのか。
冷たいお茶を、もう一杯頂きながら、私は感慨にふけっていた。
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墓参りのあと、近くの川沿いの公園で息子と蝉取りにいそしんだ。
松並木にはずいぶんとたくさんのアブラゼミがいて、息子はいたく気に入り、再び顔を出した太陽の下、小一時間も汗だくになりながら、息子と一緒にタモを振り回した。
捕まえたアブラゼミは、自宅の近くで捕まえるそれより、一回り小さいと息子は言っていた。
遠くで、ツクツクボウシの鳴く声が聞こえた。
私は過ぎ行く夏を惜しんだ。