先日ご紹介した、根本理加さんのクリスタルボウルに寄せて綴らせて頂いた「同時代に響く音色」に、理加さんご本人のブログでご紹介を頂きました。
何がしかの表現をしていく中で、やはり嬉しいのは感想を頂いたときです。
今回、こんな風にご感想を頂きましたことは、もの書き冥利に尽きます。
書かせて頂きまして、ありがとうございます。
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「どのくらいの時間で書いているのですか?」
と質問をある方からいただきました。
ここでの毎日のエントリーもそうですし、依頼された作品や、寄稿記事について、たまに聞かれることがあります。
難しい質問で、いつも答えに窮してしまいます。
実際にキーボードを叩いている時間は、それほど長くはないように思います。
けれど、そこに至るまでの時間を、どう計算に入れたらいいのか。
依頼を頂いてから、あるいは寄稿を決めてから、どんな文章を書こうか、四六時中考えていますし、なかなか頭から離れません。
ほんとうに私なんかが書いていいのだろうか、
いや、やっぱりよく思われたいし評価されたい、
自分の書く文章なんて大した価値ないよ、
だから背伸びして着飾らないと…
ああああ、こんな私でごめんなさい…
それでも、声を掛けてくださった方のために尽くしたい…
というエゴの声や、無価値観や罪悪感やら、犠牲やらコントロールやら何やらでグダグダしながら、それでも締切に尻を叩かれ、
あぁ、もう、どうなっても知らんぞ!
といろんなことに降参して、パソコンの真っ白な画面に向き合う。
そんなことを、毎回繰り返しています。
人は好きなことほど、それをするのに抵抗が出ると聞きますが、そうなのかもしれません。
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結局のところ、人は自分の中にあるものしか表現できません。
それは残酷なことでもあり、また同時に福音でもあります。
私は、ずっとそれが分からなかったからこそ、すなわち自己価値がとても低かったからこそ、心の内面の領域に惹かれたのだと思います。
そのおかげで、自分の価値と、イコール相手の価値を丁寧に丁寧に見つめることを続けられたのだと思います。
そのおかげで、得難い出会いもあったし、理加さんのクリスタルボウルの音色にも出会えました。
そう考えると、自信のなさや自己価値の低さも、まんざら捨てたもんでもないのかもしれません。
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少し話は逸れましたが、
「どのくらいの時間で書いているのですか?」
という先の質問に対しては、
2時間くらいともいえるし、
2年半前に葉山で初めて聴いたときから書いているともいえるし、
そこに至るまでの三十数年間も書いていたといえるのかもしれません。
ただ、どんな紆余曲折も、書くまでの内面的な葛藤も、しんどさも、ご感想を頂いたときの喜びが、すべてを上回ります。
それこそ、理加さんのCDのタイトルに入っている「Resonance」の言葉のとおり、読み手となにがしかの「共鳴」をした瞬間の喜び。
それを知ってしまったら、もうそこから抜け出すことは難しいようです。
それだけに、次の表現への葛藤もまた深まるわけですが…
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あらためまして、今回書かせて頂いてありがとうございました。
また新しい喜びを、ありがとうございました。
この喜びを胸に、また次の表現に向き合います。