雲はだいぶ残っていたが、前日までの雨は上がって、晴れ間が見えた。
めずらしく、平日の早い時間に市内を走っていた。
市内の中心部に向かう朝の道は、思いのほか混んでいて、遅々として進まない。
早めに出たつもりだったが、徐々に遅くなるナビの到着予定時刻に、やきもきする。
いまさら焦ったって、前方の渋滞が早く流れるわけでもないのだが、それでも前方の信号とにらめっこをやめられない。
遅刻して相手を待たせたという罪悪感を抱えて、テーブルに着くのは、のっけから不利な交渉だ。
それは避けたいのだが、致し方ない。
=
一息、深呼吸をしてみる。
少し、指先に血が通ったような気がした。
人間、焦ったり不安になったりするときは、大概呼吸が浅くなっているものだ。
たったひとつの深い呼吸が、落ち着きを取り戻すことがある。
暖房が効いてきた車内の温度が鬱陶しくなって、窓を開ける。
前夜の雨のせいだろうか、少し湿った空気が車内に流れ込む。
刺すような冷たさの空気を期待していたが、その期待は外れた。
来週は雨水の節気がやってくる。
もう、冬から春へと。
この湿った空気の温さが、その証拠だ。
=
ふと開けた窓の外を見ると、黄色い帽子の群れが歩いていた。
背の高い高学年と思わしき男の子が、先導していた。
久しぶりに、小学生の集団登校を見た気がした。
普段は時間帯が早いせいもあり、あまり見かけることのない、ランドセルの群れ。
その姿を眺めていると、不意に、
ずきん。
という胸の痛みを覚えた。
刺すようでもあり、鈍く締め付けられるような、その痛み。
元気な小学生たちの姿を見て、何を覚えたのだろう。
=
ようやく変わった信号に、のろのろと前の車が動き出した。
あわてて我に返って、アクセルを踏む。
渋滞の列は、少しの区間だけ進んで、また信号待ちに引っ掛かったようだった。
また右足をブレーキに置いて、一息つく。
=
あの痛みは、なんだったのだろう。
信号待ちのあいだ、ゆうに秒針が一周以上する時間に、ゆっくりと考える。
寂しさ、かもしれない。
その寂しさは、私自身が黄色い帽子を被り、集団登校をしていた時に感じたものかもしれない。
=
小さい頃のことをよく覚えている人がいるが、私はその反対で、あまり自分が小さい頃のことを覚えていない。
覚えていないのか、忘れてしまったのか。
それは分からないが、小さい頃の記憶というのが、明瞭ではなくぼんやりしている。
人生という旅が長くなればなるほど、その始まりの頃の印象が薄くなるのは自然なことかもしれない。
けれど、私のその傾向は、昔からそうだったように思う。
二十歳の頃と、それはあまり変わらない気がするのだ。
=
黄色い帽子を被って登校していた時分。
私は、なぜそんなにも寂しさを感じていたのだろう。
父方の祖母の他界、
祖父の家からの引っ越し…
考えられることはいろいろあるが、どうなのだろうか。
学校から帰った私を迎えてくれたのは、いつも母方の祖母だった。
何が起こった、誰がどう言った、というような記憶は薄い私なのだが、平日の夕方、がらんとした家の雰囲気は、よく覚えている。
=
小学生の集団登校を見て感じた寂しさが、それと関係があるのかはわからない。
ただ、寂しさを感じた、というだけでいいのだろう。
それでも。
黄色い帽子を被った小さな私が、さっき見た集団の中で、ひとり歩いているような気もした。
賑やかに周りが話をするなか、なぜかその小さな私は、誰とも話さず下を向いていた。
何を想っていたのだろう。
見ると、またのろのろと前の車は動き始めたようだった。
雨上がりに不思議な形の雲。