大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

分離感や孤独感が生む「痛み」と、その処方箋について。

何かと分離していると感じると、人は心理的に強い痛みを感じます。

そこに痛みを感じるのは、人間が根源的につながりを求める生きものだからです。

そして、強い「痛み」を感じる人ほど、そのつながりをつくる才能を持っていることをお伝えします。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.「痛み」とは、相手に背を向け、または、かかわりの糸を切ってしまったところに生まれる

たぶん私たちは、誰かのやったことが気に入らなかったり、とても対処できないと感じたとき、自分とは関係のないことだと決めつけたのです。

かかわりを認めるかわりに、そこから自分を切りはなし、そうやって友だちや家族や、はては自分自身の一部とまで、かかわりの糸を切ってしまったのです。

そうやって何年もたってから、切ってしまったその糸をもう一度つなげようとして四苦八苦するのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.49

f:id:kappou_oosaki:20220103095718j:plain

2.分離感が、「痛み」を生む

分離感が「痛み」を生む理由

分離感、孤立感、あるいは寂しさ。

それらは、強烈な「痛み」をともなうものです。

なぜそれが「痛み」になるかといえば、その裏側にある「つながり」こそが、人間にとっての根源的な欲求であるからなのでしょう。

それは欲求であると同時に、また人間の象徴でもあります。

以前に書評を書いた「サピエンス全史」(ユヴァル・ノア・ハラリ著、河出書房新社)という書籍があります。

その中で、人類と他の動物を分かつ重要な点が挙げられていました。

およそ7万年前に、現生人類に「認知革命」と呼ばれるものが起こったとされます。

これは、架空の事柄=虚構について語ることのできる能力です。

それにより、集団が神話を信じることができるようになり、異なる個体が協力したり連携したりすることができるようになりました。

神話とは、文字通りの意味だけではなく、国や法律、宗教、自由といった、さまざまな神話があります。

現代に生きる私たちも、お金や会社といった神話を信じているようです。

協力し、思いやり、連帯することで、私たちは長い歴史の中を、生き延びてきました。

いわば、「つながること」こそが、人類のアイデンティティといえるのかもしれません。

分離感や孤独感とは、そのアイデンティティが揺らぐ、緊急事態ともいえます。

だからこそ、強い「痛み」を感じると、見ることができます。

分離感や寂しさとは、原初体験

分離感や寂しさとは人にとって、とても古い感情でもあります。

その感情を最初に体験するのは、私たちが生まれた瞬間だとする話もあります。

あたたかな母胎から外に出て、臍帯を切ったときに分離感を感じる、と。

分離感や寂しさとは、原初体験ともいえます

その体験を、人は生きる中で何度も経験していきます。

外界に出た赤子は、母親とつながり直します。

しかし、また自分の望まない世界が現れると、分離感を覚え。

それでも、またつながり直そうとして。

引用文にある通り、「四苦八苦」するようです。

分離感や寂しさは、私自身の中でも、大きなテーマです。

両親との突然の死別という象徴的な出来事もありますが、やはり人と別れることや、そこにあったものがなくなることに、強い痛みを感じるようです。

そうしてかかわりを切っていくと、引用文の言葉の通り、「はては自分自身の一部とまで」切れてしまいます。

あまりに分離がひどかったころ、私は「寂しい」という感情も分かりませんでした。

自分自身とのつながりが切れてしまうのは、分離感の行き着く先といえます。

「痛み」があるのは、もともとつながっていたから

しかし、分離感に「痛み」を感じるということは、そもそも「つながり」があることを知っているから、と見ることもできます。

つながりを知っているからこそ、寂しさを感じ、痛みを感じるのでしょう。

母親の胎内で感じていた、あたたかな一体感。

あるいは、それよりも前にいた世界でのつながりかもしれません。

それを知っているからこそ、痛みを感じる。

自分の中に無いものを、人は感じることはできません。

それは、反対の際にあるものも同じです。

寂しさを感じられる人は、つながりを知っている人。

不安を感じられる人は、安心感を知っている人。

悲しみを感じられる人は、喜びについて知っている人。

そんな風に見ていくと、「痛み」を感じるのは、もともと知っていた「つながり」を呼び起こすサインであるともいえます。

引用文にある通り、私たちはそれを、さまざまな理由で切ってしまうようです。

それがいいも悪いもなく、ただ、そうせざるを得なかった、というだけのことなのでしょう。

3.「痛み」を感じるがゆえの才能

取り戻す、あるいは思い出す

「痛み」を感じたときは、「つながり」を取り戻すチャンスでもあります。

本書でも、自分から手を差しのべて、「つながり」を取り戻しましょうと語られています。

取り戻す、という表現は、もともとあったからこそ、使われます。

それは、忘れていたものを思い出すことに、近いのかもしれません。

「痛み」を感じられるあなたは、もともと「つながり」を知っている人

少しのあいだ忘れていても、それは必ず思い出せます。

しばらく乗っていなくても、自転車の乗り方を忘れないように。

「つながり」は、必ず誰もが持っているものです。

はじめは、自分自身と仲直りしていくことから、始まるのでしょう。

すると、徐々に周りの人とのつながりを、取り戻していくことができます。

しばらく会っていない人や、故人とであっても、「つながり」をつくることができます。

もともと、あったものですから。

そして、それは主体的に取り戻すことが、できるものです。

その「痛み」は、誰かに贈るギフトになる

そのプロセスの恩恵は、自分自身を癒すことに留まりません。

つながりとは、二つの間に起こるものですから。

つながりを感じることができたとき、その相手との間に橋を架けたことになります。

それは、言葉や文字で表現される場合もあれば、優しさや思いやり、祈りといった、非言語的なコミュニケーションの場合もあるでしょう。

いずれの場合でも、それは相手にとって大きな大きな贈り物になります。

分離感や孤独感が生む、「痛み」。

それは、めぐりめぐって、誰かに贈るギフトになります。

きっと、孤独や寂しさを感じる人ほど、つながりをつくり、誰かの居場所をつくる才能を持っているのでしょう。

引用文の主旨からは、少し離れてしまったかもしれませんが、そんなふうに分離感と孤独感の「痛み」を見ることもできると思います。

もし、あなたが抱えている「痛み」が、あるのでしたら。

その「痛み」は、必ず誰かに贈るギフトになります。

いつもそれを、お伝えしたいと思うのです。

〇2月度のモニター募集を開始しました!

oosakinaoto.com

お申し込みの程をお待ちしております。
また、音声のみのカウンセリングも承っております。

〇カウンセリングのご感想のまとめはこちら。