さて、断酒760日目である。
「2年経つと、どんな感じなの?」
「うーん、視界には入らなくなってきましたね。別の惑星のたしなみ、というか」
先日お酒が好きな方と、会食をしていたときの会話である。
視界に入らなくなったのは確かで、認識のフィルターから、少しずつ外れていっている気はする。
人は、目に映るもの全てをそのままに認識しているわけではなく、興味なり関心があるものにしか反応を示さない。
漠然と転職を考えている人には、転職サイトの広告が目に留まるけれど、競馬に興味がなければ、バカでかい「チャンピオンズカップ」のポスターが駅に掲示されていても、何の反応を示さない。
断酒してしばらくは、「自分がしていない」という認識があったが、徐々に「お酒」という存在が、興味の対象から薄れていっているようだ。
「別の惑星のたしなみ」、ふとそんな言葉が浮かんだが、そうなのである。
世の中にはいろんな楽しみを持つ人があって、スーパーに寄ってはプロ野球チップスを買い、夜な夜なそのカードを眺めてニヤニヤする人もいる。
美味しいものを食べることに強いこだわりと情熱がある人もいれば、美容と健康に膨大な時間とお金を捧げる人もいる。
好きなアイドルのコンサートのためなら、日本全国飛び回ることを厭わない人もいる。
それぞれ、各々が違うライフスタイルを生きているだけだ。
社会がすごい速さで変容して、いろんなライフスタイルを生きる人が出てくる中で、いままで当たり前だと思っていたことも、そうではなくなるかもしれない。
それは、「お酒」に限らず。
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断酒はライフスタイルを変える、一つの大きな出来事だった。
それを見直す時というのは、どんなときなのだろう。
翻って、2020年の今年は、世の中が激変した年だった。
仕事や通勤、人が集まることや移動の制限…よくも悪くも、いろんな当たり前が根本から崩れ、社会のありようが変わっていった。
当然ながら、そのように激変する世の中において、
「どう生きるのか?」
「これから何を大切にしていくのか?」
「ほんとうにやりたいことは?」
といった、根源的な問いかけを投げかけられていることは、多くの人が感じるところなのだろう。
当たり前が当たり前でなくなり、「ニューノーマル(新しい規範)」ではなく、「ノーノ―マル(規範がない=自分でつくる)」の時代と言われるように。
それは、確かにそうなのだろう。
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けれど、人は、ただ外から言われただけでは、変わらないように思う。
もっと言えば、ただ、自分が決めただけでは、変わらないのだ。
ライフスタイルが変わるというのは、もっと、根源的な何かのような気がする。
私が断酒を決めたのも、初冬の橋の上で、ただ何となく、そう思っただけだった。
それは、時代が、社会がとか、強い意志とか、そんなご大層なものではなかった。
それが、何であるのか、いまの私には分からない。
何か、ひとしずくの雪解け水が、時間をかけて悠々と流れる大河になるようにも感じる。
おそらく一つ言えるのは、「社会が激変しているから」、「コロナ禍だから」、「時代が変わったから」というようなことに、煽られなくてもいい、ということだ。
必要なものは、必要なときに与えられるのだから。
変わるときは、否が応でも変わるし、
変わらない時は、何をしても変わらない。
どこまでも、自分のペースで。
2020年もあとひと月だと聞いて、そんなことを考えた、師走ついたちだった。