さて、断酒を初めて今日で1000日が経ちました。
2年と9か月弱と書くと、それほど特別感もないのですが、1000日と書くと一つの区切りのような感じがします。
人の心というのは、不思議なものですね。
思えば、2年9カ月前の立冬を臨む、肌寒い日。
自宅の近くの小橋の上で、ふと、お酒をやめようと思い立ってから、長い時間が経ったようです。
習慣化された飲酒ができなくてしんどいな、と思ったのは、最初の1か月くらいがピークだったでしょうか。
あとは、徐々に徐々に、腫れが引いていくように、飲酒したいという欲がなくなりました。
断酒を始めたころ、ネット上で断酒をした方の体験談などを読んでいました。
断酒の効用から、再飲酒(スリップ)を避けるための注意点、断酒ができる環境づくりなどなど、さまざまな情報を得ることができました。
少しのことにも、先達はあらまほしきことなり
徒然草ではないですが、そんなことを感じておりました。
いまは、ほんとうに便利なもので、誰かの体験や知識、知恵に、簡単にアクセスできます。
この私の体験もまた、誰かのお役に立つことが、あるのかもしれません。
さて、以前の私が読んでいた断酒の体験談のなかで、興味深かったのが、断酒をやめてからの期間ごとの効用を書いていたサイトでした。
1週間、1か月、3か月、半年…と、飲酒という習慣をやめることによって、変わっていく体調や環境、人間関係を記してありました。
その中で、3年経つと別人格になり、何がしかの目に見える成果が出る、と書いてあって、そうなのかー、と思って読んでいたのを思い出します。
考えてみれば、3年経てば年も重ねますし、いろんな経験をするでしょうから、別の人格になっているのが当たり前のような気もします。
それは断酒していようが、していまいが、同じなんじゃないかな、と思ったものです。
さて、私が断酒をはじめて1000日、2年と9か月弱。
まだ3年には満たないのですが、そんな時分に、先日ドタバタしていた原稿のゲラが飛んできました。
3年経つと、ひとつの成果。
そんな言葉を、否が応でも思い出させてくれました。
断酒したから、いまがあるのか。
それとも、この目の前のいまは、必然なのか。
よく分かりませんが、時は流れ、いろいろと動いているようです。
外に出るもの、目に見えるものが全てではないのですが、さりとて一つの象徴として、それを捉えてみてもいいのかな、とも思います。
ただ、やることは変わらず。
日々、淡々と、粛々と。
書くことを、今日できることを、続けていきたいと思います。