時に小雪も末侯、「橘始黄、たちばなはじめてきばむ」。
「橘」とは柑橘類をまとめた総称と聞き、それらが色づくころ。
ミカンなどの柑橘類を目にし始めるのが、この頃だとされる。
枯れ木や落ち葉などの中にあって、常緑樹に色づく暖色の実は、冬のこころを和ませてくれる。
柚子が大活躍する冬至も、もうすぐやってくる。
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七十二侯の名前では、「はじめてきばむ」なれど。
その色づきを見るのは、「はじめて」ではない。
毎年、繰り返される、自然の営み。
当たり前のようでいて、それでいて、当たり前でない、時の流れ。
その黄色や橙色は、いつか見た色であり、どこかで触れた色。
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時に、時間が波のように感じられる。
それは、動く歩道のように、一直線でどこかへ流れていくものではなく。
螺旋階段のように、登るものでもなく。
寄せては返し、返しては引いていく、波のように。
もつれてはほぐれ、からまってはほどけ。
昼下がりに、幼子がふうっと吹き出すシャボン玉のように、現れては消えていく。
ぼんやりとしていると、ふっと現れ、そして消えていく、あの「橘」の色。
あれは、いつ見た色だっただろうか。
どこかで、見た色だっただろうか。