大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

映画「えんとつ町のプペル」に寄せて。

西野亮廣さんの世界に触れたのは、絵本「えんとつ町のプペル」が無料公開されたタイミングだった。

調べてみると、無料公開されたのが2017年1月。
いまから約3年前だったそうだ。

うっかり仕事の昼休みに開いてしまい、涙で画面が見えなくなってしまったのを覚えている。

父と母との突然の別れという痛みを抱えていた私にとって、心の琴線の「ど真ん中」に響く作品だった。

すぐにAmazonで注文しようかと思ったが、配達されるまでの時間が惜しくて、書店に走って買い求めた。

ほどなくして、「キングコング」のイメージしかなかった西野さんの活動を知り、すぐにオンラインサロンに入り、今に至る。

salon.jp

クラウドファンディング、ダイレクト課金、あるいはBBQ型のエンタメといった知識も、すべて西野さんの界隈から得てきた。

エンターテイメントの制作過程、その思考過程、何よりもそのとてつもない努力と苦悩を惜しげもなく公開されるオンラインサロンの記事は、すぐに毎日の楽しみとなった。

奇しくも私と同い年である西野さんの姿は、「あんなにすごい人が同い年にいる」という気恥ずかしさも劣等感もあるが、それ以上に、「だから頑張ろう」という希望だった。

だからこそ、映画「えんとつ町のプペル」のオープニングで、そのタイトルロゴが出てきただけで涙があふれた。

コロナウィルス禍により、いろんな当たり前が壊れ、閉塞感が満ち、希望の持てなくなった2020年。

その年の最後にふさわしい映画だった。

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ここまで書いてきたことと逆説的ではあるのだが、それらを抜きにして、素晴らしすぎる映画だった。

「総指揮・西野亮廣」という冠を外しても、それが超一級のエンターテイメントであることは変わらないように思う。

秋元康さんが西野さんを評して、「西野君は一生、日本人から過小評価される」と言われたそうだ(作って作って作って、届ける byキンコン西野|西野亮廣エンタメ研究所|noteより)。

それは、本当にそうなのかもしれない。

そのココロは、制作過程の裏側や、広告戦略に長けているから。
それがあったからこそ、ヒットしたんでしょ?と。

よくあるのが、「知名度のある西野さんだから、絵本がヒットした」という意見である。

それは全くの勘違いであることは、少し西野さんの言葉や世界に触れたなら、分かるように思う。

知名度で作品が売れるならば、世の多くの人は苦労しないではないか。
それは、知名度を「作品の質」と言い換えてもいいのかもしれない。

どこか、我々は「至誠天に通ず」ではないが、「よい作品を作り続ければ、必ず認められる」という意識があるように思うが、それは全くの誤解だ。

西野さんが言っている通り、作品はお客さんに届けて、ようやく作品として産声を上げる。

その届け方というのは、西野さんが世の中に出ている華やかな部分とは全く異なる、まさに「ドブ板営業」に続く「ドブ板営業」だ。

映画公開の直前まで、サロンメンバーとジョギングをしながら、前売り券を売っておられた。

そこにあるのは、キラキラしたマーケティング理論ではなく、徹底的に一人一人と向き合い、映画館に足を運んでもらう、という強い意思だった。

その姿には、敬意を覚えざるを得ない。

畏怖せざるを得ないのは、それらは西野さんの活動の、ほんの一端に過ぎない、ということだ。

そうしたあらゆる活動の前提にあるのは、西野さんのつくりだす作品の質が、圧倒的なクオリティにある、ということなのだと、映画を観てあらためて感じた。

私も、西野亮廣さんのことを、まだ誤解していたのかもしれないと感じた。

届け方や宣伝広告戦略だけがすごいんじゃない(いや、もちろん、それらもすごすぎるという言葉では足りないくらい、すごいのだが)。

その芸術性が、唯一無二なのだ。

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えんとつ町は煙突だらけ。
そこかしこから煙が上がり、煙の上はモックモク。
黒い煙でモックモク。
えんとつ町に住む人は、青い空を知りません。
輝く星を知りません。

えんとつ町のプペルは、煙に覆われて空を見上げなくなった世界の物語である。

それは、正しさにあふれて、はみ出す者や挑戦する者を叩く、閉塞感のある現代の物語である。

それは、「ディズニーを超える」と夢を語って蔑まれ、「協業制で絵本をつくる」「そのためにクラウドファンディングをする」「ダイレクト課金(オンラインサロン)で作品の制作費を集める」といった来るべき時代を指し示したにもかかわらず、石を投げられ続けた西野さん自身の物語である。

それは、たいせつな人を失い、その寂しさに蓋をしながら頑張ってきた人に起こる、やさしい奇跡の物語だ。

それは、夢をあきらめ、挑戦する人に石を投げてしまった、アントニオのような人たちの物語である。

「えんとつ町のプペル」がすごいのは、そうした「夢をあきらめた人たち」にすらも、救いを描いていることだ(物語後半のアントニオの表情を、ぜひ観てほしい!)。

石を投げられ続けながらも、その投げる側の人の心にも寄り添い、多くの人を巻き込んできた西野さんだからこその物語なのだと感じる。

恨みもつらみも、作品を届けるために昇華したような。

映画のエンドロールが終わった後で、すべてが浄化されたような感じがして、しばらく立ち上がれずにいた。

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ぜひ、感染症対策をしっかりと取りながら、多くの人に映画館に足を運んでいただきたいと思う。

その美しい映像美に、うっとりと酔いしれて、
芦田愛菜さん演じるルビッチの、覚悟に満ちた台詞に痺れて、
ゴミ人間・プペルを演じる窪田正孝さんの、どこまでもピュアな愛おしさを感じて、
ロザリーナさんの歌うエンディング曲を、きっと映画館を出るときには口ずさんでしまうことだろう。

そして何より、物語のクライマックス、立川志の輔師匠演じるブルーノの独白。
もう唯一無二の西野さんの偏愛が詰まった、ここにしかない世界だった。

すべてのシーン、すべての映像、すべての音楽。
それらすべてが、この映画を観る、すべての人たちに向けて贈られた物語だと感じる。

2020年の最後に、こんな奇跡の映画が公開される。
素晴らしきかな、この世界。
そんなことを思ってしまう、映画「えんとつ町のプペル」だった。

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西野さん、素敵なクリスマスを、ありがとうございました。

これからも、応援しております。