大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

書評:西野亮廣さん著「新・魔法のコンパス」に寄せて

久しぶりに書評を。

西野亮廣さんの新刊、「新・魔法のコンパス」(角川文庫)に寄せて。

タイトルに「新」とある通り、この本は以前に刊行された「魔法のコンパス 道なき道の歩き方」(主婦と生活社)がベースになっている。

しかし、ただ単にサイズを替えただけの文庫本とは異なり、前作をベースにはしているものの、完全描き下ろしの新作である。

その「新・魔法のコンパス」を読んで、思うところを綴ってみたい。

1.お金、広告、ファンの「それから」

前作「魔法のコンパス 道なき道の歩き方」が刊行されたのが、2016年8月。

それから約3年経って、前作が訴えてきた「お金」「広告」「ファン」の変化というのは、まさに著者が描いた通りの変化を辿ってきていると思われる。

お金は「他者に提供した労働の価値」ではなく、
「他者に提供した価値の対価」だ。

「職業の掛け合わせ」で
キミの希少価値を上げろ。

セカンドクリエイターを押さえろ。

人は「確認作業」でしか動かない。

「機能検索」の時代が終わり、
「人検索」の時代が始まった。

『物語』を売れ

満足度の正体は
『クオリティー』ではなくて、『伸び率』だ。

    「新・魔法のコンパス」目次より

こうした本書の目次になっている内容は、3年前にはいささか前衛的に聞こえたのだろうが、2019年の現在においては、随分と市民権を得たように感じる。

「常識」はそれが「常識」になってしまうと、誰も意識しなくなってしまう。

例えば、「テレビ」ということを考えてみても、当初は「映像を遠方に送る」という通信手段でしかなかったのだろう。

それを、スポンサーから宣伝広告費を集めることで、視聴者にテレビ番組という娯楽を提供し、視聴者はスポンサーから宣伝広告費が上乗せされた商品を買う…という天才的なシステムを、誰かが考え出したのだろう。

そして、それは当たり前になってしまえば、誰も意識しないし、誰が考えたのかも今となっては分からない。

本書では、こうした「お金」と「広告」の新しい常識について書かれている。

そして、前作「魔法のコンパス 道なき道の歩き方」では、具体例を挙げて2016年当時のトレンドを盛り込んでおられたが、本書においては、それはもっと普遍的な問い、「お金とは?」「効果的な広告とは?」「ファンを増やすには?」という問い掘り下げて、それに対しての答えが描かれている。

それは、おそらく誰も「テレビ」を見るときに、その広告宣伝モデルについて気にすることがないくらいに、これからの時代の常識となっていくのだろう。

3年後、5年後、10年後に本書を読んだときに、「当たり前のことを、わざわざ書いてある本が、なぜヒットしたんだろう?」と感じる読者が出てくるのではないかと感じる。

逆説的なのだが、そうなればなるほど、本書の価値が高まるのではないだろうか。

2019年5月のいまだからこそ、読む価値のある本なのだと感じる。

2.ビジネス書という形式の、自叙伝

さて、「お金」「広告」「ファン」の新しい常識について書かれた本書であるが、その内容は単なる理論ではなくて、すべて著者本人の実際の「行動」から導き出された結論であるから、説得力がある。

言葉に説得力を持たせるのは、それを語る本人の「行動」でしかない。

インターネットによって情報を取得するコストが下がり、SNSによって個人の行動が可視化された現代においては、その傾向は顕著だ。

少し検索すれば、必要な情報は手に入る。

けれど、そのとき人はその裏側にある「説得力」を確認する。

そして、その「説得力」を支えるのが、具体的な「行動」である。

本書の「説得力」を支えるのは、間違いなく著者の行動力だ。

その内容一つ一つに、具体的なエピソードが散りばめられており、すとんと腑に落ちる。

毎日、著者のオンラインサロンでその変態的な行動力を見ていると、なおさら説得力があると感じられる。

だからなのだろうか、本書を分類すると「ビジネス書」のカテゴリーに入るのだろうが、私には「自叙伝」のように感じられた。

著者による数多の挑戦と、それを超える無数の試行錯誤の末に得た結晶。

それは、まるで著者による自叙伝を読んでいるかのようだった。

これは次項とも関係するのだが、人は何か情報を得たり、学習したりするときに、その情報が導き出された過程を知ると、格段に理解力が上がる。

年表だけで覚える歴史は無味乾燥だけれども、織田信長の生い立ちからのドラマを見ていると、勝手に頭に歴史がインストールされてしまうようなものだ。

おそらく何か情報発信に「説得力」を持たせようと思ったら、やはり「行動」しかないのだと痛感させられる。 

そう考えると、発信力=説得力は、一朝一夕に身に着くものではない。

毎日、毎朝、毎秒の生き方そのもの、と言えるのかもしれない。

3.誰に向けて書いたのか?

ここまで書いてきた内容とは裏腹なのだが、本書は1時間半で最後まで読める本になっている。

著者ご本人もブログでそう仰っておられる。

【20万部突破】キンコン西野の最新刊は“1時間半”で読めるらしい | 西野亮廣ブログ Powered by Ameba

「時間」の価値が高まってきた時代だからこそ、短時間で読めることに価値があると著者は述べているのだが、この内容を読みやすく、飽きさせず、最後まで読者を離さない筆力、言葉の力は、やはり超一流の業である。

それにしても、本書の読みやすさは、これまでの著者のビジネス書と比較しても、群を抜いているように感じる。

それはやはり、上記のリンクのブログでも著者が述べられている通り、「小学校高学年」をターゲットにしているように感じる。

著者の問題意識は、日本人の「お金」に対するリテラシーの低さにある。

少し長いが、著者の言葉を引用したい。

ボクたち日本人は「お金」の教育を一切受けてこなかったから、お金に関する知識が乏しい。

いや、絶望的に乏しい。もうホント、終わってる。

唯一、お金に関する情報をボクらに提供してくれるのは「テレビ」なんだけど、しかし「テレビ」から流れてくるのは、詐欺やら脱税やら、なんだか悪いことをしてお金を儲けている事件ばっかり。

おかげで、ボクらはすっかり「お金儲け=悪いこと」という印象を持っちゃった。

質素倹約こそが日本人の美徳で、今日も「お金を稼いでいる人」が叩かれて、お金を稼ぐことは下品で、卑しい行為となっている。

たしかに、テレビで取り上げられる成金って、やたらと札束をチラつかせるし、下品だし、ファッションから自宅の内装から、地獄的にダサいもんね。

ああいう人間にはなりたくない。

ただ、そこはキチンと分けて考えなくちゃいけなくて、下品なのは「その人」であって、「お金を稼ぐ」という行為じゃない。

と言っても、「お金を稼ぐ=汚い」とすでに思い込んじゃっていたら、「分けて考えろ」と言われても、ちょっと難しいよね。

まずは、「お金稼ぎ」のネガティブなイメージを取り払うことから始めたほ良さそうだ。

本書 p.37.38 「キミがお金を稼ぐと、みんなの富が増える。」

まさに私もその呪縛に囚われている一人なのだが、「お金」というものをもっとニュートラルに、そして「お金儲け」をポジティブに認識を改めようとして、四苦八苦している。

けれど、長年染み付いた考え方の癖は、一朝一夕には直らないのが正直なところだ。

著者と同学年なのに、恥ずかしい限りである。

おそらく、著者はそうしたことも重々承知の上で、「未来」に託したのだと感じる。

2019年のいま、小学校高学年の「未来」たち。

当然ながら、スマホ・SNSネイティブの世代であり、この世代が「お金」に対してのポジティブな認識や考え方に触れることができれば、彼らは勝手に情報を取って学んでいく。

高校生でようやくポケベルに触り、二十歳前にようやく携帯、そして成人してからスマホを触った我々旧世代よりは、間違いなく彼らの方が優秀なのだから。

だからこそ、著者は対象年齢を「小学生高学年から」にしたのではないだろうか。

さりとて、我々老兵もただ死ぬわけにもいかないので、彼ら以上に「圧倒的努力」を重ねるしかない。

そう、一冊一冊に手書きのサインを入れて、読者に届ける努力をずーーーーっと続けておられる、著者のように。

子どもに読ませたい一冊。

そして、自分自身も勇気をもらえる一冊だった。

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