大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

主よ、人の望みの喜びよ。

いつもの時間、いつもの通り道。

窓のガラス越しに、道行く車を眺めている。

店内には、車の通過音は聞こえない。
途切れなく行き交う車は、どこか無音映画のように見えた。

そういえば、今日この店に行かなくちゃならないんだった。
意志ではなく、過去に決めたことのように、その喫茶店に吸い込まれた。

カフェオレにしようかと思ったが、逡巡してハウスブレンドを選んだ。

苦い、コーヒーの味に、今日は惹かれた。

ガラスからは朝の陽光が、斜めに差し込んでいた。
層状になったそれは、天へ伸びる階段のようにも見えた。

春の、陽光。
その光の筋の中に、無数の小さな白い粒子が舞っていた。

禁煙席のスペースには、もう一組、女性が二人いた。
聞き取れないくらいの、その話し声の音量が、どこか心地よかった。

運ばれてきたコーヒーが、豊かな香りであたりを包んだ。

目を閉じ、その香りに身を浸す。

不思議と、陽の光よりも天井の照明の光が、瞼の裏に張り付いてた。

瞼を上げると、落ち着いた茶色の内装が、そこにあった。

コーヒーは、想像したよりも苦くはなかった。

あまり気に留めていなかった、BGMが変わった。
アップテンポの、ピアノ曲。

気付けば、二人組の女性がいた場所は空席になり、いつの間にか奥の席に男性が一人で座っていた。
話し声は、聞こえなくなっていた。

ピアノ曲が少し煩く感じた。
少し残ったコーヒーは、すっかり冷めていた。

そろそろと思い席を立とうとすると、無音になった。

次に流れてきたのは、聞き覚えのあるメロディだった。

主よ、人の望みの喜びよ。

300年も前の、稀代のメロディ・メーカー、J.S.バッハ。
いつかどこかで聴いた、ドイツ語の美しいカンタータを、思い出していた。

人の望み。
その、喜び。

望みとは、喜びなのか。

"Jesus bleibet meine Freude"
「主はわたしの喜びを祝福してくれる」、原題はそうだった。

上げかけた腰。
もう一度、下ろした。

また角度を変えた陽光が、店内の奥まで伸びていた。

もう少し、この陽光に浸っていようと思った。

f:id:kappou_oosaki:20210318210601j:plain