大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

紫陽花、喜雨に湿りて。

時に芒種、次候は腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)。
文字通り、蛍が光を放ち跳び始めるころ。

その時候を、梅雨の雨に腐った草が、蛍に生まれ変わると表現する、この美しさが私は好きだ。七十二候の中でも、最も好きな名の一つかもしれない。
いま住んでいる街では、蛍を見ることはできないが、SNSなどでは蛍を見かけた知人の投稿を見たりして、季節の移り変わりを感じる。

空梅雨が続いているのをいいことに、いつもの川沿いの道を歩く。
予報は雨だったが、まだ降りだしてなかった。分厚い雲の下だが、今日は割と湿気の少ない風が吹いていた。

やらなければならないこと、やらねばならぬこと、先々の予定、締め切り…あれやこれや、いろんなことが、頭を去来する。
けれど、歩くというのはいろいろな作用をもたらしてくれるようで、しばらく歩いていると、その雑念も輪郭がぼんやりとしてくる。
ランニングも然りだが、何かを繰り返す動作は、ある種の瞑想に似てくるのかもしれない。あるいはただ単に、身体を動かすと思考が抜けてすっきりするだけだろうか。

それはともかくとして、こうして歩いている時間は、何がしかのポジティブな効用をもたらしてくれるようだ。
何にもしないことをする時間。それは、やはり大事な時間なのだろう。

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アパガンサスの花が、開きそうだった。
そういえば、この時期の花だった。特徴的な、その花弁の形。
薄紫の色が品があり、好きな花だ。

紫陽花も咲いていたが、乾いた紫陽花よりも、雨粒に濡れた紫陽花もいいなと思う。
どこでも咲けるけれど、輝ける場所もまたある。
そんなことを思いながら。

ふと、頬を水滴が打つ感覚。
降り出したようだった。
降り出すと雨足は早く、いつの間にか桜並木の葉を叩く雨粒の音が、あたりに満ちていった。

梅雨らしい、雨。

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お望み通りに、雨に濡れた紫陽花が、そこにあった。

喜雨(きう)。
何日も雨が降らない日が続いた後に降る、喜びの雨。そんな言葉を思い起こさせる。 
自然相手の農業をしていた時代は、日照りの後の雨は、どれだけ喜びをもたらしただろう。

半袖のシャツにも、ぽつぽつと雨粒の跡がついてきた。

降るがままに、そのままに。
為すがままに。

しばらくそのままで、紫陽花とともに濡れていようと思った。

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