いまから20年以上も前の当時、いまと比べて写真というメディアに記録する手段は、限られていた。
専門知識が必要なごついカメラで撮影し、それを現像するハードルの高さは、なかなかのものだ。
そのハードルを低くしたのが、インスタントカメラの出現だった。
正式には「レンズ付きフィルム」だったと思うが、「写ルンです」といった商品名や、「使い捨てカメラ」の名で皆は呼んでいたように思う。
実際には使い捨てではなくて、現像店で筐体を回収されていたのだが、写真を撮ることを身近なものにしてくれたインパクトは大きかった。
けれど、いまのスマートフォンとは違って、インスタントカメラは撮影できる枚数に限りがあった。
あくまで「レンズ付きフィルム」なのだから、フィルムの交換はできない。
一つの製品で、だいたい24枚撮りか36枚撮りくらいだったように思う。
ほとんど無限に撮影できる、いまのスマートフォンとは、写真を一枚撮る重みが違った。
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あれは、高校のときの修学旅行か何かの、課外学習のときだったか。
皆が、そのインスタントカメラを持って行っていた。
わたしも皆に倣って、インスタントカメラを持参した。
思春期特有の、自意識過剰なのか、容姿に対する劣等コンプレックスなのか、恥ずかしさなのか。
誰かと一緒に写るよりも、訪れた場所の風景やら、そんなものばかり撮っていた。
旅行が終わり。
皆が、楽しかった思い出の写真を、アルバムにして回覧していた。
当時は、現像した写真をアルバムにして回覧して、希望する人がいればその写真を「焼き増し」する手順を踏まなくてはならなかったからだ。
いまは、LINEグループなどにアップすれば、それで済む話なのだろうが。
回覧されたアルバム。
皆が自分の写っている写真の横に名前を書いていたのだが、わたしが写っている写真は、少なかった。
恥ずかしがらず、もっと撮ってもらえばよかった。
現像したわたしの写真たちは、誰かが写っている写真は少なく、皆のように回覧するのも気が引けた。
数少ない、わたしが写っていた貴重な写真も、実家を整理した際のゴタゴタの中、どこかへ行ってしまった。
写真、あるいはインスタントカメラと思い出される、ほろ苦い思い出。
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翻って、いまはどうだろう。
20年経って、写真を撮ること、それを残すことが、こんなにも簡単にできる世の中が訪れるとは、テクノロジーの進歩に驚嘆する。
ある人が、「スマートフォンは人間の身体拡張」と言っていたが、まさにそのように感じる。
知識や思考といったものに限らず、それは視覚や記憶といったものも、拡張してくれるようだ。
あのインスタントカメラのように、限られた数の撮影しかできなかったのが、いまはほとんど無制限に、写真を撮って残しておくことができる。
何を撮って、何を残していくのか。
逆説的ながら、その問いは、以前に比べて重みを持つようにも感じる。
ふと目に映る、枯れゆく薄桃色。
咲く花が美しければ、枯れゆく姿もまた美しい。
美は、残酷さの際にあるからだ。
枯れゆく薄桃色。
それを、忘れないでいたいと思った。