その中に大きなエネルギーを秘め、新芽はふくらむ。
春の陽気に誘われて、花は歌い、虫たちは顔を出す。
同じように、人も気温が上がると、縮こまっていた身体も少しずつ伸びてくるようだ。
されど、空は霞がかかったようになり、眠気を誘う。
春の、訪れ。
死の季節から、再誕生のよころび。
それは同時に、慣れ親しんだその季節への、惜別の寂しさをともなう。
出会いと、別れ。
卒業と、入学。
死と、再誕生。
来し方と、行く末。
慣れた習慣と、新生活。
春は、その相反するものが共存する、不安定で不思議な時間のようだ。
そんな春もまた、いつかは過ぎゆく。
春分を過ぎ、天地万物が清らかになる清明が訪れ、そして穀物を育む雨が降る穀雨を経て。
気づけばいつしか、夏、立てる日も過ぎゆく。
喜ばしい春の訪れも、いつかは過ぎゆく。
満開の桜も、真夏の陽光も、厳しい地吹雪も。
過ぎ去ってしまえば、何も起こっていないように見える。
何も、起こっていない。
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ものごとには始まりがあり、同時に終わりがあるように。
体験には、終わりがある。
胸を切り裂くような痛みも。
愛を交換する喜びも。
心待ちにしていたコンサートも。
喉を焼く慟哭も。
どんな体験にも、終わりがある。
時に、あまりに痛い感情は、こころの奥底に凍らせて沈めておくしかないこともある。
けれど、感じ損ねた感情は、必ず感じられる。
春が、過ぎゆくように。
体験には、終わりがある。
起伏があり、喜怒哀楽があり、ドラマがあるように見えて、その実、何も起こっていない。
では、あとには何もないのか、と言われれば、そうでもなく。
春が流れ、過ぎ去っていく。
そこに、何かが残るとしたら。
その春を愛でる、わたし、という自己のようにも思う。