時に立秋。
あるいは「寒蝉鳴、ひぐらしなく」の頃になりました。
「カナカナカナ…」という、ヒグラシの声。
そのもの悲しい調べは、否が応でも夏の終わりを感じさせてくれるようです。
しかしながら、私はヒグラシとは縁がないようで、ほとんどその姿と声を聞いたことがありません。
透明な翅の、少し大きめの身体を図鑑で見たことはありますが、なかなかこれまで住んでいた場所には生息していなかったようです。
夏の終わりの声といえば、ツクツクボウシの方が馴染みがあります。
あの特徴的な鳴き声と、小さな身体、透明な翅。アブラゼミなどとは違って、警戒深い性質なのか、なかなか捕まえるのに苦労した思い出があります。
ツクツクボウシが鳴き始めると、お盆がやって来たな、という感じがします。
そして、夏休みの終わりを意識せざるを得なくなり、一層、夏を味わいつくさないと、という焦燥感に駆られたものでした。
今朝は、よく雨が降っていました。
肌に触れる空気には、夏の熱気は感じられず。
刺すような陽射しと、むせ返るような熱気は、もう過ぎ去ってしまったのかと寂しくなります。
しかし、足元の草々は、その雨を歓迎しているようでした。
永遠に続くものなど、何もなくて。
ただ、過ぎ去ることだけが真実のようです。
それを、留めおこうとはせずに。
その過ぎ去るものに想いを乗せるのは、どこか川の流れに身を任せるようです。
夏も、季節も、この胸のよろこびも、寂しさも。
ただ、そのままにしておくことなのでしょう。
現れては消え、消えては現れる、うたかたのように。
降りしきる雨が、小休止に入ったとき。
涼やかな虫の声がかすかに、しかし確かに響きました。
コオロギのようでした。
時に立秋、あるいは寒蝉鳴、ひぐらしなくのころ。
ひぐらし、寒い蝉。
日暮でもなく、蜩でもなく。
寒い、蝉。
たしかに響く、その虫の声を聴きながら。
その表現の美しさを、想いました。