春は、黄色からはじまる。
されど、秋には紫が、よく似合い。
そんな言葉を想起させてくれそうな、紫色だった。
その紫を愛でたのは、午前中だった。
少し緩んで透明感を増した陽射しの下で、揺れていた。
紫、パープル、高貴な色。
なぜか、秋にはその色が、よく似合う。
焼けただれるような暑さと、土砂降りの夕立、ある種の「力」を思わせるものが共存する夏から、どこか優しさと諦念を漂わせる秋へ。
それは、長月に入ってすぐに眺めた風景と、同じ場所だった。
前日には枯れていて、もの哀しさを漂わせていたその花が、翌日には紫の小さな花弁を開かせていた。
今日も、その小さな花弁は、緑のカーテンに紫の点描を重ねていた。
それは、ただそこに在った。
変わらずに、そこに在った。
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遠くで、ツクツクボウシが鳴いていた。
まだ、蝉の声が聞こえたことに驚きを覚えるとともに、この外気温にそぐわないその声に、どこか哀しさもまた、覚えた。
秋の夕暮れは、どこか哀しい。
いや、寂しいというべきだろうか。
立秋から、日に日に早くなってくるように感じる、夕暮れ。
まだ、外で元気に遊ぶ声が聞こえていた時間のはずが、すでに薄暗く鈴のような虫の音が響く。
そこにあったはずのものが、ないという、寂しさ。
だから、秋の空は澄んでいるのだろうか。
そんな、夕暮れ。
午前中のあの場所に、ふと戻ってきた。
そこには、紫の点描はなかった。
秋には不似合いのような、ごく薄い藍色の花弁が、そこにはあった。
紫は、どこへ行ったのだろう。
いや、以前に「咲いた」と思っていたあの花弁は、実は日中にしか咲いていなかったのか。
それとも、毎日違う花弁が、次々と咲いていっているのか。
それは、よくわからなかった。
ただ、そこには紫の点描はもうなかった。
そこにあったはずのものが、なくなる。
寂しさを覚える、秋の夕暮れ。
けれど。
たしかに、そこには、在ったんだと思う。
それは、ただ、在った。
変わらず、そこに。
ただ、在った。