夏生まれだからだろうか、暑い季節が好きだ。
見上げれば、生命力あふれる雲の形。
ぎらついた太陽の陽射しに照らされた、深い緑色。
相変わらず元気よく鳴く、蝉の声。
アスファルトから立ち昇る、うだるような熱気に辟易しながらも、夏の訪れを感じてにやけてしまう。
問題なのは、お盆が過ぎて徐々に感じる夏の終わりを想像して、すでに感傷的になってしまうことだろうか。
過ぎ行くものは、いつも切ない。
いや、まだ過ぎ去っていなくても、過ぎ去っていくことが分かっているものは、切ない。
過ぎ去ったものは、どこへ行ってしまうのだろう。
いつもツクツクボウシやヒグラシの哀愁を帯びた鳴き声を聴くたびに、夏の行き先を心配するのだ。
それでも、また8月は戻ってきてくれた。
1年ぶり、葉月。
生まれた月だから、数えてみれば私にとって40回目の8月、ということになる。
どうやら、年を重ねるということは、何もどこへも行かない、ということを確かめる旅なのかもしれない。