さて、おかげさまで無事に「2021 優駿エッセイ賞」への応募が完了しました。
レターパックの番号から確認すると、きちんと到着したようで、少しほっとしております。
最後の最後でバタバタしてしまいましたが、平静でない精神状態のときに、事務作業をするとどうなるのか、身に染みて分かりました。
何はともあれ、あとは結果を待つだけです。
たくさんの方に、応援をいただきまして、本当に感謝しております。
ありがとうございます。
無事に投函が終わって、少しぼんやりとしているとき、ある漫画の場面が思い出されました。
ボクシング漫画の「はじめの一歩」という漫画です。
週刊少年マガジンで連載されていて、私が中学生、高校生のころによく読んでいた漫画です。
いじめられっ子だった主人公の幕之内一歩が、ひょんなことからボクシングに出会い、その秘められた才能を開花させて、歴戦のライバルたちと激闘を繰り広げる…そんなストーリーです。
思い出していたのは、その主人公の一歩が、初めて日本チャンピオンに挑むタイトル戦の場面です。
現・王者の伊達英二とスパーリングをした主人公の一歩は、伊達から「拳が軽い」と言われたことを気にします。
試合が近づいたある日、ジムの先輩である鷹村にそのことを問うたところ、すでに日本チャンピオンであった鷹村は、拳の重みについてこう語ります。
チャンピオンて看板にゃ色々なモンがついてくる
期待してくれるヤツ
夢を託してくれるヤツ
目標にしてくれるヤツ
そいつらの想いが全部
拳にこびりついてんだ
だから、チャンピオンの拳は重いんだ、と。
そのチャンピオンの拳の重さに、主人公の一歩は生涯初めての敗戦を、そのタイトル戦で喫します。
チャンピオンの拳の重さ。
そうなのかもしれません。
翻って、今回私が応募を公表したことは、「想いを乗せる」ことなのかもしれない、と思いました。
どうしても、自立が行き過ぎると、すべて自分の力でやろうとしがちです。
そして、周りの応援を、愛を、受け取れなくなる。
もちろん、そうなってしまう裏側には、そうならざるを得ない理由があったのでしょう。
そのこと自体は、良くも悪くもなく、ただ「過程」にいるのだとは思います。
けれど、周りの応援を受け取れるようになったとき、また違った景色が見れるのかもしれません。
それは、上に挙げた「チャンピオンの拳の重さ」と同じように。
自分だけのために戦っている拳は、軽い。
それは、誰かのために戦うとしても、同じです。
世界には、自分しかいないからです。
周りの大切な人たちの想いを乗せた拳は、重い。
応募を公表することは、文章に、言葉に多くの人の想いを乗せ、魂を宿らせることなのかもしれません。
あらためて、たくさんの応援を、ありがとうございます。
今回の結果がどうあれ、そのいただいた想いを乗せて、文章を書いていきたいと思います。
ありがとうございました。