思い出したように、息子の野球熱は再燃するようです。
9月に入って初めて晴れたような日の午後、グローブとバット、ボールを持って公園へと。
初めてグローブとボールを持って、公園に来た時のことを思い出します。
下からそっと投げるボールに目が追いつかず、なかなか捕ることができずに癇癪を起こしていた息子。
それがいまや、まだ下から投げてはいますが、立派にキャッチボールが成立している。
時の流れと、子どもの成長というのは、ほんとうに早いものです。
捕っては投げ、投げては捕って。
よくキャッチボールは会話に例えられますが、言い得て妙だなと感じます。
相手の胸の前の、捕りやすいボールを投げてあげる。
もちろん、そうしようとするのだけれど、毎回すべていいボールを投げることは難しい。
そんなときは、捕る側が頑張ってフォローしてあげる。
そして、それは瞬時に立場が入れ替わり、今度は受ける番になり、またそれが入れ替わり。
まさに、良質なコミュニケーションに必要なことが、すべて詰まっているように感じます。
今日の息子は、どうも調子がよくないようで、ぽろぽろとボールをこぼしては、そのたびにブースカと言っていました。
そんな日もある。コミュニケーションと同じなようです。
キャッチボールに飽きたら、次はバッティングをして。
それに飽きたら、守備練習のまねごとをして。
延々と、ボール遊びは続きます。
前回この公園でキャッチボールをしたときは、灼熱のような真夏の陽射しの下、茹でダコになりながらボールを追っかけた気がしますが、もうその熱気はどこにもなく。
吹く風に、涼しささえ感じます。
そろそろ、帰ろうか。
ダメ!まだやるの!
そんなやりとりを、何度かしました。
なかなか帰宅のおゆるしがいただけず、私は少し苛立ってきました。
もうそろそろ帰って、家事をするなり、ブログや原稿を書くなりしたい。
涼しいとはいえ、何時間も白球を追いかけていると、さすがに疲れてきた。
なぜ、今日はこんなにも捕まるのだろう。
互いに投げるボールは乱れ、私と息子の間の空間からは、不穏な空気が醸し出されてきます。
いいかげん、帰ろうよ。
ダメ!まだなの!
語気が強まる私、その怒気に反応してさらに強情になる息子。
なかなかバットにボールが当たらなくなり、疲労感がずしりと肩と腰に乗っかかります。
一つ、大きく息を吐き、汗を拭います。
ふと、吹く風に、幼い私を思い出しました。
来る日も来る日も、家の壁に向かってボールを当てていた、小さな私。
野球が好きだったけれど、運動神経の鈍かった私は、なかなか草野球の仲間に入ることができず、いつも一人で壁当てをしていました。
一人でする壁当ては、それはそれで楽しかったのです。
空想の中で、私はナゴヤ球場の9回裏のマウンドに上がり、相手チームの4番打者と対峙する。2死満塁、絶体絶命のピンチ。
しかし、うなりを上げて伸びる直球と、鋭く落ちるフォークボールで、その4番打者を三振に切って取って、試合を締める。
そんな空想をしながらする壁当ては、楽しかった。
けれど、ほんとうのところは、どうだったのだろうか。
やはり、草野球の仲間に入って、誰かとキャッチボールをしたり、あるいは試合をして楽しみたかった。
思い切り、日が暮れるまで、誰かと野球をしたかった。
そうだったのかもしれません。
寂しかったのかも、しれません。
もしかしたら。
その幼いころに叶えられなかった私の夢を、息子は叶えてくれているのかもしれない。
ふと、そんなことが、思い浮かびました。
もしそうだとしたら。
誰かの叶わなかった夢も、きっと、誰かが叶えてくれるのでしょう。
捕っては投げ、投げては捕って。
気持ちのいい金属音を残して、息子の打球が私の後方に飛んでいきました。
ホームランだ!
はやく、もっと投げて!
打ち気にはやる息子を待たせて、私はゆっくりとボールを拾いに行きました。
風は、やはり秋の香りがしました。