久しぶりに、雨の降っていない朝でした。
それでも空には分厚い雲、夏の空はどこへやら。
天気予報を見ると、午後からはまた傘のマークが。
時に立秋、あるいは蒙霧升降(ふかききりまとう)。
朝晩の気温が少し下がり、森や水辺に白く深い霧が立ち込めるころ。
気づけば、もうすぐ暑さも止むという処暑。
厳しい暑さがないのは、身体にはやさしいのかもしれませんが、それでも夏の暑さが感じられないままに秋に向かうのは、やはり寂しさを感じます。
晴れている間にと、久々に息子と公園へ。
しばらく来ないうちに、見事なヒマワリが咲いていました。
私の背よりも高く伸びた、ヒマワリの背丈。
夏の日差しと暑さはないけれど、それでも夏を感じる景色に出会えて、私のこころの「夏成分」が補充されたようです。
その季節季節で、出会いたい、眺めたい花があります。
その花というのは、これまでの記憶と結びついているのかもしれません。
それは、雨に濡れて少しお辞儀するような桜であったり、この夏の生命力にあふれたヒマワリでもありますし、あるいは秋の雨に濡れる、名も知らぬ白い花でもあります。
ただ、それを見ることができたとき、こころが喜ぶようです。
この夏も、ヒマワリを見ることができてよかった。
満面の笑みのような、その黄色い花弁を見ながら、それを喜びます。
この日は、久しぶりに野球をしようということになりました。
持参したグローブの感触が、なつかしく、うれしく。
捕っては投げ、投げては捕って。
不思議と誰もいない公園に、ボールを捕る音だけが響いていました。
しばらくすると、また懐かしい音色が響いてきました。
ツクツクボウシ。
お盆を過ぎた、この時期の風物詩。
その音色に、少年時代に捕まえた透明の羽根を思い出します。
捕っては投げ、投げては捕って。
不思議と、しばらくやっていなかった間に、息子はキャッチボールが上達していて、私の記憶とのギャップに驚きました。
日々成長していく息子の速さは、どこか終わりゆく夏の早さと、似ているようでもありました。
捕っては投げ、投げては捕って。
ヒマワリが、こちらをずっと眺めていました。