大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

好きなことには、準備も目的もなくてもいい。

不在届の郵便物を取りに、郵便局へ行きました。
土曜日でも受け取りができるのは、ありがたいものです。

久しぶりに営業時間の窓口に行くと、絵葉書や切手が目に入ります。
手紙を書くことが好きな私のこと、季節の絵葉書や切手は、どれだけあっても困らないものです。

今日の収穫物は、こんな感じです。

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秋の訪れを感じさせる絵柄の、絵葉書。
コスモス、紅葉、ブドウ、柿とネコなど。

こういう絵葉書を見ると、四季がある国に暮らすよろこびを覚えます。

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そして、目に留まった切手、2シート。
どんなシーンの手紙にも合いそうな、緑のお花の柄のシートと、「おいしいにっぽん」という変わり種のシート。

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これがなかなか面白い柄の切手で、見ていて飽きないものです。
どんなお手紙に貼ろうかを考えると、楽しいものです。

これらの収穫物を手に、ホクホク顔で帰ろうとしたところ、本来の目的である不在届の受け取りを忘れそうになり、慌てて戻るというオチもありましたが、やはり好きなものに触れると、テンションが上がるものです。

大きな成果や、何か劇的な変化などはなくとも。
ほんの小さなことでも、「好き」は自分のこころを上げてくれるようです。
たいせつなのは、その「好き」を感じるセンサーを、鈍らせないようにしておくこと。

郵便局から帰る車の中で、あたらめてそんなことを感じました。

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そして、せっかく気に入った収穫物が手に入ったのだから、また手紙を少し書こうと思いました。

ここのところバタバタとしていて、しばらく手紙を書いていなかったようです。

そういえば、今年は暑中見舞いも出しそびれてしまっていました。

人は、何か準備をしてから行動すると思ってしまいがちですが。
実のところ、それは逆なのかもしれません。

行動するから、いろんな準備が整っていく。
そんなことも、時にはあるようです。

たとえば、ギターを弾けるようになりたいと思ったときに、「完全に弾けるようになってから、ギターを買う」という人はいないと思います。
「いまは弾けないけれど、弾きたいからギターを買う」という人が、ほとんどだと思います。
そうしてギターを買うと、練習して弾けるようになっていく。

私が学生時代に、チェロを弾きたいと思ったときもそうでした。

弾ける保証などないのに、バイト代と貯金をはたいて、チェロを買う。
買ってしまった手前、弾かざるを得ないので、弾けるようになる。

弾けるようになったから、買うのではないと思うのです。

楽器で考えると、至極当たり前のように思えますが、一般論として準備と行動の関係にすると、とたんにそれを逆に考えてしまいがちです。

手紙を書きたいから、葉書を買う。
もちろん、そうした順序を取ることもあると思います。

けれど、そのような順序を踏む場合は、どうしても「やらなければいけないこと」のような義務のように感じることが多いのでないかと感じます。

素敵な葉書があったので買ってみたから、手紙を書く。
この方が、好きなこと、楽しいことをしているエネルギーが乗るような気がします。

好きなことには、準備も目的もなくてもいいのかもしれません。
そして、それをしていると、自分がとても満たされるし、それによって周りにもいろんなことを与えられる。

自分のこころが動いたことを、まずやってみること。

ときには、そんなことも大切なようです。