大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

雨に歩けば。 ~夏至、あるいは菖蒲華

天気予報をにらめっこする日々になりました。

先週、ようやく梅雨入りしたと書いた気がしますが、いよいよ梅雨本番のようです。

時候は「夏至」、七十二候では「菖蒲華(あやめはなさく)」の時期です。

その字の通り、アヤメの花が咲き誇る時期ですね。

それにしても、最近の天気予報はすごいですね。

1時間ごとの雨量や雨雲レーダーなど、実にありがたいなと思うのです。

雨の合間を縫って、ウォーキングをするのに、いつも雨雲をにらめっこしています笑

 

それにしても、雨が降るというのは、不思議なものです。

いえ、別に物理法則としては、説明を聞けばそうなんだな、とは思うのですが。

温められた水蒸気が雲となり、それが集まって重くなると、降ってくる。

ちょうど、うちの息子も先日、理科でそんなことを学んでいました笑

なんというんですかね、そうした物理法則とはちがう、心の感じる部分というか。

雨がないと困るのに、私たちはどこか、それを疎ましく思ってしまうようです。

まあ、この梅雨時の湿気の疎ましさといったら、ないですけれどね。

特に、私の住んでいる名古屋では、もう夏が過ぎるまで、このうだるような湿気が続きます。

あ、でも湿気は雨だけのせいでは、ありませんけれども。

 

雨のあとを歩くと、いつもと違った感傷を受けます。

なぜ、雨のにおいは、懐かしさを誘うのでしょうね。

小さいころ、雨上がりを待って、外に遊びに行った記憶が想起されるのでしょうか。

そこかしこを濡らす水滴は、どこか宝石箱のようでもあり。

雨のあとの世界は、どこかやさしく感じます。

水に濡れること、潤いというものの持つ、力なのでしょうか。

 

通勤する、買い物に行く、お出かけをするといった、「目的」があると、雨は実に疎ましく感じるのかもしれません。

傘を持っていくかとか、濡れたときの着替えとか、諸々の心配をしないといけないですしね。

それは、当たり前といえば、当たり前です。

しかし、それが「目的」がないと、雨から感じるものも、変わるように思います。

何もせずに雨粒の音に、耳を澄ませたり。

雨のにおいを、感じてみたり。

水に濡れた世界を、愛でてみたり。

いつも見ている世界は、実に多様な姿を見せてくれるようです。

「目的」がなければ、世界は実に豊かに見える。

それは、雨に限ったことでも、ないのかもしれません。

 

さて、「夏至」の時候も半ばを過ぎ。

もうすぐ「小暑」、いよいよ暑さも本番の時期になります。

蒸し暑さだったりで、体調を崩したりしませんよう。

どうか、ゆるくゆるく、ご自愛くださいませ。