大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

露白むころ、澄んだ秋の空気に満たされて。

ずいぶんと、朝晩の気温が下がってきました。

今朝も外を歩いていたのですが、「あんなに暑かったのに…」と、少しの驚きと、夏が終わるもの寂しさを覚えておりました。

時候も、「白露」に入りました。

夜間の気温が下がり、草木に朝露が宿るころ。

降りた露が白く光る粒のように見えることから、その名がついたのでしょうか。

実に美しい、時候の名の一つだと感じます。

七十二候でも、「草露白(くさのつゆしろし)」。

ずっと昔から、草花に降りた露を見て、秋の訪れを感じ入ったのでしょうか。

今朝は朝露ではなく、夜の間に降った雨粒が残っていました。

雨が降った気配はあるのですが、湿気はそれほどでもなく、気持ちのいい秋の空気を感じさせます。

なんだか最近は、暑いか寒いかで、心地よい気候の時期が短くなってきているようにも感じますが、この歩いているだけで気持ちがいい時期を、楽しみたいと思うのです。

そういえば、目に映る花の色も、ずいぶんとやさしくなってきた気がします。

この、紫色のトーンを見ると、秋らしさを感じます。

コスモスのイメージがあるからでしょうか。

紫は、高貴な色と言われたりします。

どこか、秋の澄んだ空気と、合っているように感じるのです。

実に澄んだ、秋の空の色。

夏の力強い空の色は、もうどこにもなく。

「空が高い」とは、よく言ったものだと感じます。

近くの川では、白い鳥が、水遊びを。

サギでしょうか。

夏の間は見かけなかったのですが、ちらほらと見かけるようになりました。

陽射しが、黄金色に見えます。

これもまた、秋らしさでしょうか。

澄んだ空気に満たされる、白露のころのようです。

季節の移ろいは、それだけで観る者を癒してくれるようです。

そして、それを感じる者に、「そのままでもいい」という感覚を与えてくれるようでもあります。

ぜひ、その空気に触れて、秋の美しさに目を凝らしてみてはいかがでしょうか。