睦月が過ぎ去り、ゆるりと如月がやってきたようです。
まだ最も寒い時候なれど、季節の分かれ目、節分ももうすぐ。
そんな如月のはじめ、熱田さんを訪れることができました。
前日の夜半から雨が降り出していましたが、朝には止んでいました。
冬の、雨。
それだけを聞くと、とても寒く感じるのですが、この日の雨は、確かに暖かさを含んでいました。
また寒の戻りもあるのでしょうけれども、確実に季節は流れていくようです。
時の流れも、季節のそれも。
ひところに留まることはなく、常に変わりゆく。
人もまた、同じなのかもしれません。
雨上がりの風景は、どこかやさしさを含んでいるようです。
それは、いつもよりも暖かな気温のせいだけでは、ないように思います。
雨は流れていき、小川になり、やがて大河となる。
それは大海へと流れ着き、いつしか雲となる。
その雲はまた、雨となる。
水だけが、すべてを知っている。
小川のやさしさも、急流の激しさも、大海のおおらかさも。
冬の厳しさをゆるませるのは、水。
雨であったり、雪解けであったり。
太郎庵椿も、雨粒に揺れて微笑んでいました。
この椿もまた、水のやさしさに触れたのでしょうか。
実にやさしく、それでいて穏やかに咲いていました。
なんとも形容しがたい、この淡い色。
今年もまた、その姿を見ることができたことを、うれしく思います。
この淡い色が、もうすぐやってくる春を告げるようです。
月のはじめだったからでしょうか。
この日の境内には、多くの参拝客の方々が。
海外の方も、多かったようです。
移動制限や自粛が明けて、たくさんの方が参拝にこられることを、熱田の神さまは、よろこんでおられるでしょうか。
旅行中と思わしき方も、通勤途中の方も、家族連れの方も。
たくさんの方が、この熱田さんを訪れ、手を合わせていく。
私も、そのなかの一人になって、手を合わせて目を閉じていました。
雨に濡れた参道を、また歩いて駐車場まで。
曇り空に伸びる木々の腕が、まるで動脈のようにも見えました。
濡れた玉砂利の音が、実に心地よく感じるものです。
冬の雨は、やはり暖かく。
どこか、春を告げるようです。
如月もまた、この熱田さんを訪れることができたことに感謝と祈りを。