厳寒の如月が過ぎ、弥生の月に。
風があたたさを含むようになったと思ったら、また寒風が吹く。
それを繰り返しながら、春は訪れるようです。
そんな、弥生のはじめ。
熱田神宮を、参拝することができました。
前日の夜まで雨が降っていたのですが、朝には上がっていました。
気持ちのいい青い空。
冬のそれとは違い、どこかやさしさを含んだような、そんな色をしていました。
この日はついたち、弥生のはじまり。
多くの人が、朔日参りに訪れていました。
先月多く見られた海外の方は、ほとんど見受けられず。
春節も終わったからでしょうか。
鳥居に飾られた榊を見ると、清々しい気持ちになるのは、私だけでしょうか。
凛とした、この姿を見ていると、背筋が伸びるようです。
これ、なんでしょうね。不思議です。
よく、接客業や人前に出る仕事をしていると、「どう見られるか」を常に意識するようになりますが、それと同じように、熱田の神さまに「見られている」という意識が、そうさせるのでしょうか。
周りの目を気にすることは、ネガティブな意味もあったりしますが、こうしたポジティブな意味もあるようです。
太郎庵椿も、いまが盛りのようです。
まるでスポットライトのように、陽の光が当たっていました。
2月の厳しい寒さの中で、いの一番に咲いた花を、思い出します。
それにしても、陽が高くなりました。
3月は、こんなにも陽が高かったでしょうか。
そして、こんなにも力強さを増していたでしょうか。
そう感じるのは、今年だからでしょうか。
それとも、陽の光はいつも変わらず、それを見ている私が変わったのでしょうか。
季節がめぐるごとに、新しい発見があるようです。
参道の帰り道、また榊を裏側から眺めながら。
弥生のやわらかな陽の光が、その榊を照らしていました。
今日ここに来れてよかった。
帰りの参道で、いつもそんなことを思うのです。
次に訪れるときは、また季節がめぐっているのでしょうか。
そのときを、楽しみにしたいと思います。