熊野本宮大社、大斎原を後にして、車を新宮市に向かって走らせる。
同じような、緑の杜の風景が続く。
道中、ツーリングを楽しむバイクの一行とすれちがう。
新緑の気持ちがいい季節、二輪車で風を切る愉しみ。
私はバイクを乗らない(乗れない)が、気持ちよさそうなその姿に、羨望を覚える。
それにしても、この広大な熊野路。
いつも、この熊野の道は、静けさと祈りに満ちている。
「原野」というのも少し違って、何かの意志が加えられているような。
車内には、少し開けた窓から風を切る音が響いていた。
30分ほど、車を走らせると、新宮市内に入る。
コンビニを見かけて、ほっとするのは、現代人の習性だろうか。
その新宮市内の住宅街の片隅にある、目的地の駐車場。
前回訪れた際も迷ったが、今回も同じように迷ってしまった。
何度か同じ道を往ったり来たりして、ようやくたどり着く。
神倉神社。
熊野三山の一つ、熊野速玉神社の摂社。
熊野三山で祀られる熊野権現が、最初に降臨された聖地と聞く。
原初的な山岳信仰、自然信仰の聖地となっていたが、この山のふもとに社殿を建てて熊野権現を祀るようになったのが、熊野速玉神社だそうだ。
この神倉神社に対して、新しい社殿を持つ熊野速玉神社を「新宮社」と呼ぶようになったとも。
新宮市の「新しい宮」とは、そこからきているのだろうか。
いずれにせよ、この神倉神社が、熊野信仰のはじまり、根本ともいえる地ではあるようだ。
御祭神は高倉下命(たかくらじのみこと)と、天照大神(あまてらすおおみかみ)。
かの神武天皇が東征をされた際に、「天磐盾(あまのいわたて)」の地で神剣を捧げたのがこの高倉下命と伝えられる。
神武天皇は、その神剣と、天照大神に遣わされた八咫烏(やたがらす)に導かれて、熊野・大和の地を平定したと聞く。
神倉神社の拝殿は、「天磐盾(あまのいわたて)」の名を持つ、険しい崖を登った先にある。
ナビを入れると、その山頂の場所を案内されるので、いつも迷うのだ。
登山口の鳥居。
かの源頼朝公が寄進されたとも伝えられる、石段。
その数、五百数十段。
登り口から、その先は見えない。
「足元の悪い方、高齢の方は、無理をせずここで参拝してください」との注意書きがあった。
その通りに、地元の方と思わしきご夫婦が、鳥居に手をあわせていた。
一礼をして、その険しい階段を登り始める。
見た目以上に急な石段に、一気に息が上がる。
急に無理をしないよう、休みながら。
一歩、一歩と足場を確かめながら、歩みを進めていく。
周りの参拝客の方も、同じように慎重に登っていた。
新緑の色が、その疲れを癒してくれるようだった。
5月の日差しが、ことさらに暑く感じられる。
一気に汗が吹き出てきた。
休み休みしながら、少しずつ、少しずつ。
何人か、参拝を終えて降りてくる方とすれ違う。
どの人も、ひと仕事終えたような、満ち足りた表情をしている。
一歩、また一歩。
足元を踏みしめながら、登っていく。
以前に、熊野古道の中辺路を歩いたことを、思い出す。
祈りとは、もちろんただ手を合わせることもそうなのだが、歩く行為そのものが、祈りなのだろう。
ただ、目指す熊野の聖地へ。
そこへたどり着くために歩くし、この急な石段を登る。
けれども、もうそこへ向かう行為そのものが祈りであり、そのすべてなのかもしれない。
プロセスと結果は、同じところにあるのかもしれない。
息が切れて、酸素の足りない頭に、ぼんやりとそんなことが浮かぶ。
ようやく拝殿に着く。
ご神体のゴトビキ岩を、見上げる。
ため息しか、出てこない。
ゴトビキとは、ヒキガエルを意味する方言とも聞くが、たしかにそのように見えないこともない。
ただただ、その存在感と、そこから感じるものに圧倒される。
眼下に新宮市と、熊野灘を望む。
絶景。
額に吹き出た汗を拭きながら、しばし眺めていた。
どこかで鳥が、鳴いていた。
拝殿で、参拝を。
熊野権現が、最初に降臨した場所。
どこまでも大らかで、どこまでも力強く。
そして、畏れ多い場所だった。
もう一度、熊野灘を。
かの神武天皇は、日輪を背にするために、熊野灘から上陸したと伝えられる。
悠久の時を想い、その絶景を眺めていた。
心地よい、風が吹いていた。
風薫る皐月の季節に、ここを訪れることができたことに、御礼を申しあげた。
ゴトビキ岩に、燦々と陽光が降りそそいでいた。