大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

再出発と巡礼の熊野路2 ~和歌山県新宮市「神倉神社と熊野灘」

熊野本宮大社、大斎原を後にして、車を新宮市に向かって走らせる。

同じような、緑の杜の風景が続く。

道中、ツーリングを楽しむバイクの一行とすれちがう。

新緑の気持ちがいい季節、二輪車で風を切る愉しみ。

私はバイクを乗らない(乗れない)が、気持ちよさそうなその姿に、羨望を覚える。

それにしても、この広大な熊野路。

いつも、この熊野の道は、静けさと祈りに満ちている。

「原野」というのも少し違って、何かの意志が加えられているような。

車内には、少し開けた窓から風を切る音が響いていた。

30分ほど、車を走らせると、新宮市内に入る。

コンビニを見かけて、ほっとするのは、現代人の習性だろうか。

その新宮市内の住宅街の片隅にある、目的地の駐車場。

前回訪れた際も迷ったが、今回も同じように迷ってしまった。

何度か同じ道を往ったり来たりして、ようやくたどり着く。

神倉神社。

熊野三山の一つ、熊野速玉神社の摂社。

熊野三山で祀られる熊野権現が、最初に降臨された聖地と聞く。

原初的な山岳信仰、自然信仰の聖地となっていたが、この山のふもとに社殿を建てて熊野権現を祀るようになったのが、熊野速玉神社だそうだ。

この神倉神社に対して、新しい社殿を持つ熊野速玉神社を「新宮社」と呼ぶようになったとも。

新宮市の「新しい宮」とは、そこからきているのだろうか。

いずれにせよ、この神倉神社が、熊野信仰のはじまり、根本ともいえる地ではあるようだ。

御祭神は高倉下命(たかくらじのみこと)と、天照大神(あまてらすおおみかみ)。

かの神武天皇が東征をされた際に、「天磐盾(あまのいわたて)」の地で神剣を捧げたのがこの高倉下命と伝えられる。

神武天皇は、その神剣と、天照大神に遣わされた八咫烏(やたがらす)に導かれて、熊野・大和の地を平定したと聞く。

神倉神社の拝殿は、「天磐盾(あまのいわたて)」の名を持つ、険しい崖を登った先にある。

ナビを入れると、その山頂の場所を案内されるので、いつも迷うのだ。

登山口の鳥居。

かの源頼朝公が寄進されたとも伝えられる、石段。

その数、五百数十段。

登り口から、その先は見えない。

「足元の悪い方、高齢の方は、無理をせずここで参拝してください」との注意書きがあった。

その通りに、地元の方と思わしきご夫婦が、鳥居に手をあわせていた。

一礼をして、その険しい階段を登り始める。

見た目以上に急な石段に、一気に息が上がる。

急に無理をしないよう、休みながら。

一歩、一歩と足場を確かめながら、歩みを進めていく。

周りの参拝客の方も、同じように慎重に登っていた。

新緑の色が、その疲れを癒してくれるようだった。

5月の日差しが、ことさらに暑く感じられる。

一気に汗が吹き出てきた。

休み休みしながら、少しずつ、少しずつ。

何人か、参拝を終えて降りてくる方とすれ違う。

どの人も、ひと仕事終えたような、満ち足りた表情をしている。

一歩、また一歩。

足元を踏みしめながら、登っていく。

以前に、熊野古道の中辺路を歩いたことを、思い出す。

祈りとは、もちろんただ手を合わせることもそうなのだが、歩く行為そのものが、祈りなのだろう。

ただ、目指す熊野の聖地へ。

そこへたどり着くために歩くし、この急な石段を登る。

けれども、もうそこへ向かう行為そのものが祈りであり、そのすべてなのかもしれない。

プロセスと結果は、同じところにあるのかもしれない。

息が切れて、酸素の足りない頭に、ぼんやりとそんなことが浮かぶ。

ようやく拝殿に着く。

ご神体のゴトビキ岩を、見上げる。

ため息しか、出てこない。

ゴトビキとは、ヒキガエルを意味する方言とも聞くが、たしかにそのように見えないこともない。

ただただ、その存在感と、そこから感じるものに圧倒される。

眼下に新宮市と、熊野灘を望む。

絶景。

額に吹き出た汗を拭きながら、しばし眺めていた。

どこかで鳥が、鳴いていた。

拝殿で、参拝を。

熊野権現が、最初に降臨した場所。

どこまでも大らかで、どこまでも力強く。

そして、畏れ多い場所だった。

もう一度、熊野灘を。

かの神武天皇は、日輪を背にするために、熊野灘から上陸したと伝えられる。

悠久の時を想い、その絶景を眺めていた。

心地よい、風が吹いていた。

風薫る皐月の季節に、ここを訪れることができたことに、御礼を申しあげた。

ゴトビキ岩に、燦々と陽光が降りそそいでいた。