大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

懐かしき記憶をめぐる、雨水の熊野巡礼1 ~七里御浜・熊野本宮大社

なぜ、熊野に惹かれるのだろう

ナビが示す到着予想時間を見て、やはり熊野は遠いなと改めて思う。

それでも、定期的に熊野を訪れたくなるのは、なぜだろうか。

前回、熊野を訪れたのはいただったか、考える。

記憶の糸をたどると、昨年の5月、新緑の季節に訪れたようだった。

具体的に熊野を訪れることを考えると、またあの遥かな道のりを思い出し、少し恐れが出てくる。

そして、あの空気を思い出し、少しドキドキするのだ。

熊野の空気は、いつも雄大で。

厳粛や荘厳、というよりは、誰もかれもを包み込んでしまうような、そんなおおらかさに満ちあふれている。

罪深き人、後悔の念を抱く人、自分を責め続ける人。

病を持った人、差別を受けていた人、不浄とされた人。

どんな参拝者も受け入れてきた、熊野という地が、その空気を醸し出すのだろうか。

自分自身も、そうありたいと願うから、熊野に惹かれるのか。

それとも、自分がそうあることの、投影なのか。

それは分からないけれども。

熊野に惹かれて、やまない。

初めて訪れたのは、人生の転換期だったように思う。

「熊野」というキーワードを、何度聞いた時期だったように思う。

一人で遠くへドライブすることや、いろんな怖れがあったが、熊野の風はやさしく私を迎えてくれた。

以来、熊野を訪れることは、私のライフワークのようなものかもしれない。

穏やかな七里御浜と、懐かしき記憶と

勢和多気インターで伊勢道に別れを告げて、尾鷲熊野道へ。

前日の雨は上がって、よく晴れていた。

一つ、また一つ、連なるトンネルを抜けると、熊野に近づいていく。

それは、再生と死を繰り返していくようでもある。

終点の熊野大泊インターで降りると、熊野灘が目に入ってくる。

熊野の七里御浜。

夏に行われる熊野花火が有名だ。

車を停めて、しばしその波の音を聞いて、ぼんやりとする。

今日も、熊野灘は雄大で、そして穏やかだった。

遠くに、獅子岩の姿も見える。

遠く神話の御代、神武天皇が東征の際に敗戦を喫したあと、再度上陸したのがこの熊野灘と聞く。

悠久の時をこえて、この地を見守り続けてきた熊野灘。

その波の音を聞きながら、しばしその歴史に想いを馳せていた。

 

七里御浜をながめていたい欲求にかられながらも、道中を急ぐ。

42号線を右折し、311号線から熊野本宮大社を目指す。

山道を走りながら、なぜか父のことを思い出していた。

あれは、いつだったか。

ずいぶんと遠出をして、父の運転する車で山の中を走っていた。

どこか、そのときの風景と、この311号線の風景が重なる。

以前にも同じことを感じて、姉に尋ねてみたが、熊野を訪れたことはないと言っていた。

幼い頃の記憶が、あまりない私のこと、記憶違いなのかもしれない。

どこか、違う土地の記憶が、混じっているのかもしれない。

けれども、この紀伊半島の奥深き山の風景は、そんなことを思い出させる。

旅のお供のBGMに、CHAGE&ASKAを聴いていた。

「CODE NAME.2 SISTER MOON」に収録されている、珠玉の名曲「NとLの野球帽」。

俺が笑ってる 俺が突っ立ってる

大事そうにシャッターを押す 親父を覚えてる

私の手元に残った、数少ない家族写真。

CHAGEさんが歌うように、私も「突っ立って」写っている。

あの写真を撮ったときも、この歌詞のように、父は大事そうにシャッターを押したのだろうか。

それを思うと、不意に落涙した。

熊野本宮大社、静かな祈りの場所

久しぶりに訪れた本宮は、記憶のなかのそれと同じで、静かな時間が流れていた。

来るものを拒まず、すべて受け入れる雄大さと、おおらかさ、そして包み込むような、あたたかさ。

この空気に触れるだけで、今日ここに来れてよかったと思う。

参道の緑は、今日も訪れる人を癒す。

咲き匂ふ 花のけしきを 見るからに

神の心ぞ そらに知らるる

参道に咲く花を見るにつけ、熊野の神さまの御心を知ると詠う、白河上皇の和歌。

そういえば、ここに来るまでの311号線の道中で、いくつか白い梅の花が咲いていた。

熊野の神さまは、いつもやさしく、あたたかい。

本殿まで石段を登る、この参道の空気が心地よい。

一段、また一段と踏みしめながら、その石段を登る。

小さな子どもも、お年を召された方も。

一歩、また一歩とその石段を登っていた。

境内に掲げられた、今年の漢字。

令和五年の今年は、「力」の一文字。

実に力強く、エネルギッシュなその文字。

今年は、「力」。

どんな力を得て、その力をどう使いたいのか。

そしてその力を、誰のために使いたいのか。

それを、ぼんやりと考えていた。

本殿に、参拝を。

新しい一歩、それを踏み出すとき、いつもこの熊野の地を訪れていた気がする。

静かに手を合わせ、瞑目する。

今回も、無事に原稿を書き終えることができたことのご報告と、感謝を。

境内の「八咫烏」ポスト。

東征の神武天皇を導いたとされる、八咫烏。

まだマスクをしたままではあったけれども、この八咫烏に導かれて、今日ここまで来れた。

その導きに、感謝の祈りを。

静かな時間、そしてあたたかな空気。

熊野の地そのもののような、熊野本宮大社。

参道を振り返り、今日訪れることができたことに、もう一度感謝を。

また、参ります。