大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

懐かしき記憶をめぐる、雨水の熊野巡礼5 ~大綱の戻った花の窟神社

懐かしき記憶をめぐる、雨水の熊野巡礼1 ~七里御浜・熊野本宮大社

懐かしき記憶をめぐる、雨水の熊野巡礼2 ~大斎原・湯の峰温泉公衆浴場

懐かしき記憶をめぐる、雨水の熊野巡礼3 ~神倉神社から熊野灘を望む 

懐かしき記憶をめぐる、雨水の熊野巡礼4 ~熊野速玉神社と梛の木

南国の香りのする七里御浜を通って

熊野速玉神社を出て、42号線を北へ走らせる。

雨水の熊野路も、終わりに近づいてきた。

朝から訪れた風景を思い出し、少しの寂寥感に駆られる。

ほどなくして、七里御浜が右手に見えてきた。

どこか、南国の香りのする、七里御浜。

穏やかな波が、寄せては返していた。

車の中の音楽が、また聞き覚えのあるイントロが流れてくる。

「NとLの野球帽」。

行きの道中で聞いていたCDが、また一回りしたらしい。

旅の帰りの寂しさと相まって、一段と感傷的になる。

故郷と、両親と、時代と。

この歌を書いたCHAGEさんの心象風景のような、そんなイメージが流れこんでくる。

俺が笑ってる 俺が突っ立ってる

不器用そうな親父の背中を おふくろが見ていた

汗かきだった、私の父の背中を思い出す。

父もまた、不器用な人だった。

めまぐるしく経済が成長していくなか、それでも懸命に働いていた。

NとLのくたびれた野球帽

失くしたものは景色だけさ 一緒に歩かないか

そう呼びかけるような、CHAGEさんの歌声に、また落涙した。

社殿のない神社、花の窟神社

車を30分ほど走らせると、花の窟神社にたどり着く。

花の窟神社は、伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵とされる。

季節の花を供え飾ってイザナミノミコトを祀ったことから、花窟という社号が付けられたと考えられているそうだ。

社殿のない、日本最古の神社の一つと聞く。

国道沿い、駐車場から一つ道路を隔てて、鳥居がある。

その鳥居をくぐると、空気が変わる。

静かな境内、どこか背筋の伸びるような。

参籠殿を通って、イザナミノミコトを祀るご神体である巨岩を見上げる。


あった。よかった。

心のなかで、そんな声をつぶやいた。

磐座にかけられた、大きな綱。

例年2月の例大祭で、この綱を掛けるご神事が行われるそうだが、感染症禍で例大祭が行われなかったことで、以前に訪れたときには綱がなかった。

今日、この大綱がかかっている姿を見ることがでて、本当によかった。

そんな安堵にも似た感情が、心を満たす。

感染症禍のなかでも、このご神事を守ってこられた方々のご尽力を想う。

細い縄を7本束ねた綱をかけ、その綱から三つの旗縄が吊り下げられている。

三神を意味するこの旗縄は「三流の幡(みながれのはた)」と呼ばれ、イザナミノミコトの子である「天照大神(アマテラスオミカミ)」、「月読尊(ツクヨミノミコト)」、「素戔嗚尊(スサノオノミコト)」を表すとされる。

軻遇突智尊(カグツチノミコト)を祀る王子ノ窟。

手をあわせて、しばらく祈りを捧げる。

熊野信仰の根源のような、磐座。

その姿と、そこにかけられた大綱。

神さまと、人と。

そのどちらにも、祈りを捧げる。

雨水の熊野路。

それはどこか、懐かしき記憶とともにあった。

帰りに道中、またあの曲を聴きながら、旅情にふけろうと思った。