大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

時には、昔の話を。 ~いつかのアール・ヌーヴォーの輝き

あれは、いつの頃だったのか…

自分が何歳だったのか、どうにも曖昧な記憶があります。

子どもの頃ではなく、もうずいぶんと大きくなった頃だとは思うのです。

けれども、それが高校生だったのか、それとも実家を出た後のことだったのか、それが曖昧なのです。

その記憶は、めずらしく母親と二人で出かけた日の記憶でした。

豊橋市の美術館で、アール・ヌーヴォーのガラス作品の特別展が開催されるので、そこに出かけたのです。

同じ県内とはいっても、豊橋市は東の端の方にあり、私の実家のある西の地域からすると、けっこうな距離がありました。

特急電車に乗るか、高速道路を使うかしないと、かなり時間がかかってしまう。

そんな距離のある地域の美術館でしたので、そこを訪れるのは小旅行のような感じでした。

曖昧な記憶は、車で行ったのか、電車で行ったのか、それすらもぼんやりとしているようです。

そのアール・ヌーヴォー展を観に行きたい、と言ったのは、母親だったのは間違いないと思います。

アール・ヌーヴォーに通り一遍の見識しかなかった私は、見聞を広げるためにもいいかな、と思ったことを覚えています。

そして、「ヌーヴォー」という表記とその響きが、どこか美しく感じられたように思います。

確か、夏の暑い日だったと思います。

車の運転が苦手な母親でしたから、やはり電車で行ったような気もします。

豊橋を訪れるのは、初めてでした。

市電が、走る街でした。

陽炎がゆらゆらと揺蕩うアスファルトを、その市電が走る風景が、印象的でした。

そう考えると、やはり電車で行ったのかもしれません。

たくさんの人が、美術館のその企画展を訪れていました。

アール・ヌーヴォー。

エミール・ガレ。

ドーム兄弟。

20世紀初頭のフランスを彩ったとされる、実にさまざまなガラスの工芸品が並んでいました。

蝶をモチーフにした、極彩色のガラス細工が、印象に残っています。

母は、美術が好きな人でした。

美術に限らず、文学や演劇、音楽といった芸術を、愛していました。

仕事をして、家事をしながら、いったいどうやってそんな時間を工面したのか、いまになって不思議に思います。

おそらくは、そうした記憶は、私がだいぶ手を離れてからの印象なのかもしれません。

居間で一人、練る前に本を読んでいた姿を思い出します。

そのアール・ヌーヴォー展で、どんな会話を母としたのか、もうまったくといっていいほど、覚えていないのです。

けれども、そのガラスの工芸品の輝きは、よく覚えています。

その日、なぜ母が私を誘ったのかは、もう分からないのですが。

その日、アール・ヌーヴォーの輝きを見られてよかったと、いまになって思うのです。