たとえ、あなたがいま燃え尽きたように感じていたとしても。
たとえ、あなたが受け止められないような悲劇に出会ったとしても。
それを糧にして、希望を抱くことができる日が、必ずやってきます。
1.燃え尽きは再生の合図
昨日の記事では、燃え尽きたとしても、心は何度でもよみがえる、というテーマでお伝えしました。
燃え尽きたとしても、心は何度でもよみがえる。 - 大嵜直人のブログ
燃え尽き症候群、と呼ばれる状態があります。
はた目には、仕事が充実していたり、たくさんの人に囲まれていたり、家族に恵まれていたりするのですが、本人の心のなかでは、空虚な風が吹き荒んでいます。
かといって、自暴自棄になるわけでもなく、誰かが困っていたら、すぐに手を差し伸べるような優しさもあったりします。
けれども、それで感謝されたりしても、本人は何も受けとれず、そこに喜びはありません。
ただ、「そうするべきだから」「そうしなくてはいけないから」しているだけで、それはまるで指示を受けたロボットのような感覚すらあったりします。
常にひどく疲れていて、何をしていても「結局これが何になるんだろう」という虚しさが常にあったりします。
この「燃え尽き」は、私たちが「自立」を深め過ぎることで起こるのですが、それは決して悪いことでも、責めるべきことでもなんでもありません。
むしろ、「よくそこまでがんばってこれましたね」とねぎらうべきものと言えるのでしょう。
「燃え尽き」とは、心理的な意味での「古い自分の死」ではあるのですが、その先には「新しい自分」との出会いが待っています。
そのまっただ中にいるときは、そんなことは思えないかもしれません。
けれども、人の心は、何度でもよみがえるものです。
2.季節がめぐるように、心も再生を繰り返す
人の心は、螺旋階段を登るように成長していきます。
「燃え尽き」もまた、そのプロセスの一部です。
その螺旋階段の長さや大きさは、人によって異なるのでしょう。
何度も、こうした「燃え尽き」を経験する人もいれば、長い期間、燃え尽きたような状態になる人もいるのでしょう。
どれがよくて、どれが悪いということも、ありません。
その人なりのプロセスがある、というだけです。
ただ、たとえ燃え尽きたとしても、必ず心はよみがえります。
それは、厳しい冬が訪れたとしても、必ずその冬にも終わりがあることと似ています。
新しい春が訪れ、そして過ぎてゆく。
心もまた、同じようです。
燃え尽きたとしても、何度でも再生、再誕生を繰り返すものです。
螺旋階段、と先ほどお書きしましたが、ぐるっと同じ場所に戻ってきたとしても、そこから見える風景は違います。
また同じように春はめぐるけれど、それでいて新しく訪れる春は異なるように。
季節がめぐるように、心もまた、再生を繰り返していきます。
そして、そのたびに心はその容量を大きくしていくようです。
これは、「燃え尽き」に限らず、私たちが出会う、ショックなできごともまた、同じですよね。
3.再生は、感謝とともに
「人生最大の悲劇は、人生最大の喜劇に変えられる」
そんな言葉があります。
たとえ、あなたがいま燃え尽きたように感じていたとしても。
たとえ、あなたが受け止められないような悲劇に出会ったとしても。
それを糧にして、希望を抱くことができる日が、必ずやってきます。
それを笑いながら、大切な人と語っている日が、必ず訪れます。
そのとき、あなたはどんなあなたと出逢うのでしょうか。
きっと、そのときのできごと、周りの人々に、感謝しているのではないかと思うのです。
「変な話なんだけど、あのできごとがあって、よかったのかもしれない」
「そのおかげで、あなたに出会えたし」
「だから、感謝している」
もしかしたら、そう思えるようになるまでには、ほんとうに長い時間をかけるプロセスになるのかもしれません。
けれども、人の心は、ほんとうにしなやかで、強いものです。
たとえ、どんなに長い時間がかかったとしても、心はみずみずしさとやわらかさを取り戻すことができます。
そのとき、きっとこう思うんです。
「こんな自分に出逢えるなんて、奇跡としか言いようがない」
「あなたに出逢えて、ほんとうによかった」
あなたがそう思えるようになることを、私は信じています。
今日は、季節がめぐるように、心もまた再生を繰り返す、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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