何がしかの問題が起こると、私たちは「自分を変えなくてはいけない」と感じます。
しかし、「変わらないと」では、なかなか人は変わりません。
自分を変えることについての、一つの視点をご紹介します。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.本当に望んだとき、道は開かれる
これを真実にしてくれるのは心の力、選択の力です。
あなたの願望と意思が扉を開き、いつも解決が入ってこられるようにしてくれます。
ところがあなたは、「いまの状況でこれを手に入れたら、自分が傷ついてしまうだろう」と信じているのです。
ここではつねに相反する感情を同時に感じるので、心から望むことがないのです。
しかし、あなたが本当に望んだとき、必要とあれば奇跡(ミラクル)さえ起こります。
人が死に直面して求めれば、癒しが起きることがあります。
その人はより高いレベルの理解と人生に立ちあがったのです。
いっぽう、命の危機にひんして奇跡を求めながらも本当は奇跡を受けとるのがこわいという人もいます。
そんな「奇跡」はその人の概念にはあわないからです。
そして、観念を変えるくらいならむしろ死を選ぶのです。
あなたに自分の観念を変える意志があり、内面に押しこめていることを何でも変えていく勇気があるのなら道は開かれます。
たとえ、いまのあなたには何のヴィジョンも見えなかったとしても。
それには、ただ心から望みさえすればよいのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.374
2.自分が変わるとは、どういうことか?
今日のテーマは、なんでしょうね。
「願望実現」とかでもいいのでしょうけれど、「自分が変わるとは?」という視点から見たら面白そうなので、そっちから書いてみようと思います。
「問題」が持つ力
私たちは、幸せになりたいと言いながら、幸せを怖れます。
パートナーシップを深めたいと思いながら、親密感の怖れを抱きます。
夢を叶えたいと言いながら、現状を維持しようとします。
「いまを変えようとする力」と「いまを維持しようとする力」、その両方の力がはたらいているのが、私たちの心といえるのでしょう。
カウンセリングなんかでお話を伺っていると、そうした葛藤というものは非常によく出てくるテーマでもあります。
けれども、時にそうした葛藤を破るチャンスが訪れます。
それは、一般的には「問題」と呼ばれる形をとってやってきます。
いままでの自分では、どうしようもできない「問題」。
そうした状況がやってきたとき、人は「変わらなければいけない」と思い始めます。
少し観点は違うかもしれませんが、「死生観」という言葉があります。
その人なりの生きること、死ぬことに対しての哲学を指す言葉ですが、なぜか、「死」の方が先に置かれています。
それは、「死」に直面したとき、人ははじめて「生きること」について深く考えます。
引用文にも、そんな記述がありますよね。
「離婚」という問題が勃発して、ようやくパートナーシップと向き合いはじめることと、似ているのかもしれません。
あるいは、大病を患った経験や、ひどい怪我をされたことのある方が、生きることや歩くことに、それまでとは違う意味を持たせるようになったりします。
そんな風に考えていくと、「問題」とよばれる存在は、私たちの葛藤をうちやぶる力を持っていると見ることもできます。
「変わらなければいけない」で人は変わらない
しかし、話はそこで終わりません。
「問題」が起こり、「いまの自分を変えよう」と決心しても、なかなかうまくいかないんですよね。
それでみんなうまくいくなら、誰もが「問題」を毛嫌いしたりしません笑
なぜ思い通りにいかないかといえば、「変わらなければいけない」という決心だけでは、人は変わらないからです。
「問題」が起きると、人は原因を探します。
そして、自分のこれまでの振る舞いや性格、あるいは親子関係など、いろんなところに原因を探し求めます。
そして、その原因をつぶしこんで、自分を変えようとするわけです。
はい、私もさんざんやりました笑
けれども、これで変われる人はいいんですが、なかなか難しいんですよね。
なぜなら、そこには「いままでの自分はダメだ」という、強い自己否定が入っているからです。
たとえそこで、自分の立ち振る舞いをいままでと変えられたとしても、どこか空虚な感じがするし、満たされないわけです。
そしてそれは、長続きしません。
ここに、「問題」を解決しようとすること、ひいては「自分を変える」ことの難しさがあります。
「自分を変える」とは、いままでとは全く違う自分に変身する、ということではないわけです。
それはまた、今日の引用文でいうところの「本当に望むこと」の難しさと、よく似ています。
3.自分を変えるための第一歩、「あきらめ」
「変わらなければ」「変わらないと」といった意思では、自分を変えることは難しい。
では、何があれば自分を変えられるのか?
そのカギは、「あきらめ」だと私は思います。
静かな「あきらめ」
先ほどのお話で、自分を変えることの難しさのなかに、過去の自分を否定してしまうこと、と書きました。
変わろうとすることで、新たな自己否定を生んでしまうわけです。
もしそうであれば、解決策はその逆です。
過去の自分を許し、そして受容することです。
「それも、私の一部」
「これも私だから、しょうがない」
それは、ある種の静けさをもった「あきらめ」とでもいえる態度です。
「あきらめ」と聞くと、どこか投げやりなニュアンスで聞こえるかもしれませんが、決してそうではありません。
「あきらめる」の語源は「あからしめる」といわれるように、それを明らかにすることを指します。
それは、否定して隠そうとしてきた自分の一部を、つまびらかにする、ともいえます。
そうした静かな「あきらめ」の中にいるときはじめて、受容と統合、そして変化が生まれます。
よく私はカウンセリングの中で「変わらなくてもいいと思いますよ」と言ったりしますが、それはそんな意味を含んでいます。
自分自身が毛嫌いしている部分に、かけがえのない価値や才能が眠っているとしたら、変わる必要なんて、なくなってしまうわけです。
そこに気づくことができる(統合することができる)と、「結果として」自分が変わったように感じることもあるかもしれません。
あなたに自分の観念を変える意志があり、内面に押しこめていることを何でも変えていく勇気があるのなら道は開かれます。
引用文のこの部分、「何でも変えていく勇気」とは、いまと違う姿になるための勇気ではありません。
いま、そのままの自分自身を、100カラットのダイヤモンドのように扱う勇気のことです。
そのための一歩目が、「あきらめ」です。
「これが、私」
それは、断固たる決意とか、そういった分かりやすいものではなく、静かな静かなものです。
けれどもそれは、確実に、雪解け水が山に染み込んでいくように、変わっていきます。
小さな川に流れ注ぎ、いつしかそれは、大河となって広大な海へ流れゆきます。
自分が変わる、とはそんなイメージに近いのかもしれません。
今日は、「自分を変える」というテーマでお届けしました。
ご参考になりましたら、幸いです。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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