幸せになることは、不幸になるよりも怖いものです。
そして、その怖さとは、「自立」を手放すことへの怖れでもあります。
そんな心理と、その怖れを癒すためのヒントについて、お伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.最大の怖れとは、幸せへの怖れ
人が死よりも幸せを怖れていることは簡単にわかります。
それは、幸せな人よりも死んだような人や死にかけている人のほうがずっと多いからです。
また、それよりもさらにめずらしいのが幸せな男女関係です。
幸せへの怖れは、大いなる愛の怖れ、神への怖れということもできます。
神を見いだすことは全面的に従順になるということであり、あなたの人生の答えがすべてわかり、あなたが完全に幸せになるということなのです。
つまり、あなたの怖れは、そこまで身をゆだねることへの怖れであり、「自分のやり方」を手放す怖れです。
それは、あなたのいまの生き方を続けるために準備している障害やコントロール、あなたのルールが溶けてなくなってしまうという怖れなのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.375
2.幸せになることへの怖れ
今日のテーマは、いろいろ含蓄を含んでますよね。
なんでしょうね、「相互依存」のようなイメージでしょうか。
「自立」の先にある世界
幸せになることを、人は怖れます。
不幸になるよりも、幸せになることを怖れるように見えます。
「幸せになりたい?」という質問には、誰もが「当たり前です!」と答えるのですが、不思議なものです。
けれど、幸せはそこにあるのに、そこから目を背けてしまいます。
えぇ、私もです笑
ある意味でそれは、チルチルとミチルが探していた「青い鳥」が、家の中にあったという事実を、認めなくないという心理なのかもしれません。
いまさら家にあったとしたら、これまで必死になって探してきた自分が、バカみたい…
これだけ頑張って探したんだから、絶対に外にあるはずだ…
そんな心理が、働くのかもしれません。
そういった意味では、「自立」を手放す、というテーマと密接に結びついているようにも思います。
私たちは、自分では何もできない「依存」の状態が辛いので、自分で何でもするという方向に舵を切ります。
「自立」と呼ばれる状態ですね。
「青い鳥」を、がんばって家の外で探す時代、といえるかもしれません。
それは成長でもあるのですが、孤独や燃え尽き、正しさの争いといった、さまざまな問題を引き起こしたりもします。
そうした「自立」を手放した先に、「相互依存」とよばれる世界があります。
自分ができることは自分でする、自分ができないことは誰かを頼る。
つながりと信頼のステージ、ともいえるのが「相互依存」です。
お互いがお互いの主張で白黒をはっきりつけるステージから、白でも黒でもない、新しいものを相手とつくりだす、そんなステージといえます。
「自立」を手放すのは、とんでもなく怖い
さて、そうした「相互依存」の世界ですが、そこに至るためには、「自立」を手放さなくてはなりません。
しかし、これが怖いんですよね…
この怖さ、怖れというのが、「幸せになる怖れ」と言い換えられるのかもしれません。
言ってみれば、「幸せになる怖れ」とは「自立を手放す怖れ」と表現することもできるのでしょう。
なぜ、「自立」を手放すのが怖いのか。
「自立」とは、すべてのことを自分でやる、がんばる、最後までやり遂げるという心理です。
それは、あらゆる状況をコントロールし、障害が起きないように、常に目を見張らせているわけです。
それをするのは、「自立」に至る前に、あまりにも自分が振り回されてしまった、しんどい経験があるからといえます。
「依存」の時代、自分では何もできなかったとき。
私たちは、誰かに何かをしてもらわないと、生きていけませんでした。
自分の思っている通りに、自分の欲している通りに、周りの人が何かをしてくれるだろうか。
常にそんなことを考えて、周りに振り回されるのが、「依存」の時代です。
それが辛すぎるがゆえに、何とか自分でやろう、がんばろう、と奮い立つわけです。
だから、もし「自立」にいる人が、そのやり方、正しさ、あるいはコントロールを手放してしまったとしたら、「依存」に戻ってしまうという怖れが出てくるわけです。
自分がやらなければ、自分がコントロールしなければ、自分が正しくなければ…
また、あのしんどい「依存」の状態に、叩き落されてしまう。
それはまた、「自立」しようといままで頑張ってきた自分を、否定することのようにも感じられます。
いままでの自分を、自分が否定してしまうことになる。
それは、何よりも怖く、何よりもしんどいことなのかもしれません。
だから、「自立」を手放すのはとんでもなく怖く、またそれは「幸せになることへの怖れ」と同じ怖さだともいえます。
3.怖れは愛に気づくことで癒せる
さて、そうした「自立」を手放して、「相互依存」のステージに移るとき。
そのときには、「任せる」、「委ねる」、「助けてもらう」といったことがキーワードになります。
自分一人でがんばる、とは180度違うやり方ですよね。
心理学では、「サレンダー」という表現をしたりもします。
それは、一見すると「依存」と似ているのかもしれません。
けれども、その心の内は真逆です。
「依存」の状態のとき、人は「もっとちょうだい」「まだ足りない」といった、相手から「奪う」意識があります。
しかし、それが「相互依存」の場合は、「与える」「受けとる」両方の意識が生まれます。
「助けてもらって、ありがとう」という受けとるマインドと、「助けさせてあげる」という与えるマインドですね。
ここが、まったく違うわけです。
委ねるといっても、ただ何もせず、相手のアクションを待つわけではありません。
自分のできることは全てして、それでもできないことは、相手に委ねる、任せる、という意識が「相互依存」といえます。
それは、生き方をも含めた、あらゆるものごとへの態度ともいえます。
そして、この「与える」と「受けとる」という両方の態度が、「自立」を手放す怖れを癒してくれます。
「依存」の時代に、周りがどれだけの愛を与えてきてくれたか。
それは裏から見ると、自分が周りの愛をどれだけ受け取ってきたかに気づく、ということでもあります。
「自立」の時代に、自分がどれだけの愛を与えてきたか。
それは裏から見ると、自分の愛を周りがどれだけ受け取ってくれたかに気づく、ということでもあります。
「依存」も「自立」も。
どちらも、自分自身に必要なものだった。
そして、そのどちらの時代も、自分は周りの人をたくさん愛してきたし、周りの人は自分をたくさん愛してくれた。
そう思うことができたなら、もう「自立」を手放す怖れは、だいぶ緩んでいるのではないでしょうか。
そして、それは言い換えるなら。
「幸せになることへの怖れ」を乗り越えるのに必要なのは、そこにある愛に気づくことなのでしょう。
今日は、「幸せになることへの怖れ」をテーマに、「相互依存」について書いてみました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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