大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

【ご感想】 誰かを愛してるとして、「人間として」自分には何が出来るだろう?何をしたいだろう?と、しばらく自分に問いかけていきたいなあと思います。

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カウンセリング・モニターのご感想をいただきました。

〇大嵜直人のカウンセリングを受けようと思われた理由を、お教えください。

リピートです。

〇カウンセリングを受けてのご感想を、ご記入ください。

何度もリピートでお世話になりました。

この度、ついに有料セッションに移行するということで、おめでとうございます。

今までずっと、感想は非公開でとお願いしておりましたが、今回は公開OKの感想を送ります。

 

毎度、セッションを受ける前には荒んでいた気持ちが、受けた後では良いもののように思えていました。

でも、「本当にそうなのかなあ?やっぱりダメなんじゃないかなあ」と疑う気持ちがまた出てきて、次回のセッションまでには、荒んだ気持ちが復活していたり、別の荒み方をしていたり、という具合でした。

でも、ふとした時に大嵜さんの言葉が思い出されて、「もしかしたらこれは愛なのかも知れない」とか、「こんな風に落ち込む必要ないのかもなあ」と、自分の反応が変わっているのも感じました。

 

「罪悪感=愛」というのは、ビジョン心理学では定説のようですが、それも「本当かな?愛ってそもそも何だろう。人に愛なんてないのでは」と疑っていました。

両親が私の気持ちを蔑ろにして、大切に扱わなかったことで、それを恨んできました。

もっとああしてくれたら、こうしてくれたら全然違う人生だったのに、と。その執着や後悔は強烈なもので、これが愛なわけがなかろうとずっと思っていたのですが…

昨日のセッションを受けて、「それでも愛したいのではないでしょうか…」とおなじみのことを言われて、うーん、ほんとかいな、と思った後、寝て起きたら…。

「あんな身勝手で嘘つきで馬鹿で狡くて欠点だらけで子供の心を蝕む酷い親でも、かつてこの世で唯一の拠り所で、命綱だった存在として、実は私は心から彼等を愛しているとしたら、この辛さや悲しみや傷や憎しみが全て愛だと言えるとしたら、私に『人間として』出来ることは何だろう?」という問いが浮かんでいました。

 

自分が世話をしているペットのことや、育てている植物のことは、心から愛しているという自覚があって、毎日様子を見て、心配して、世話をして、「大好きだよ今日もありがとう」と言っています。

私を見てすごく嬉しそうにしてくれたり、駆け寄ってきてくれたり、真剣な表情で私が喋るのを聞いてくれると、今日も愛してくれてありがとう、生きていてくれてありがとうという気持ちでいっぱいになります。

すごく小さいのに、あたたかくて、優しくて、触れると命の尊さを感じます。


もし、親のこともそんな風に、毎日好きだと言って仲良くしたいぐらい愛しているとしたら、親に酷いことを言われたりされたりしたことで、自分が親を憎んでいて、愛の行き場がなくなってしまったことは、とても辛いなあと思いました。

でも、だからと言って、近づけば自分が絶対に傷つくのに、傷だらけの血塗れでもニコニコして優しく接しようと努力するということは、自分にはああ無理だ…と思いました。

親を愛していて、心から幸せを願っていて、仲良くしたいと思っているなら、もう人間として自分に出来ることは何もない…と、そう納得出来ました。

 

万能感があって、「自分には親を完璧な人間にして、私を愛させる力がある」と思っていて、何で現実はそうじゃないんだ、とイライラしていました。

親が私の望まないことを言ったりしたりする度に、「やっぱり何も変わってないじゃないか!」と怒っていました。

これをすれば親は変わるはず、私を愛してくれるはず、と色々なことをしてきましたが、いや私は神じゃないから人を変えるなんてやっぱり土台無理だ、むしろ逆の現実ばっかり作ってる…でもしょうがない、ただの人間だし…と思いました。

全知全能の神なら、頑張る必要なんかなくて、「変われ」と思うだけで、指先を動かしもせずに、私の望む現実を作ることが出来るでしょう。

でも、私にはそんな力はないから、もう期待して頑張るのはやめよう、そしてそれが出来ないからと言って、自分の愛が偽物だと思って苦しむのもやめようと思いました。

「神なら現実を好きなように変えられるだろうけど、人間として私に出来ることは何だろう?」と思うと、本当に「あ、何も出来ないわ」と冷静な気持ちになりました。

「愛してるけど、何も出来ない、何も変えられない、しょうがない、どうしようもない」と、人間としての自分の愛の限界を認めることが出来たような気がします。

 

愛そのものは無限かも知れません。

でも、だからって万能になれるわけじゃない。

どんなに愛してると自分で思っていても、全く無力なことがあるんだ、どうしようもないものなんだ、自分に出来る事にはいつも限界があるんだ、と。

「こんなに好きなのに、振り向いてくれない」と言っている、勘違いした憐れなストーカーのような気持ちです。

そんな時、行き場のない愛はどうするかと言うと、まあ、自分で「愛してるけどどうしようもないねえ、しんどいねえ」と慰めたり、こうしてセッションを受けて、「それはしんどいですよね」と言ってもらうぐらいかなあ、と思います。

かっこ悪いですけど、とても現実的です。

 

親は往々にして子供に対して万能感を持ちます。

「自分は親なのだから、この子を思い通りにコントロール出来るはず」と思い込んで、子供が自分の意にそぐわないことをすると、「こんなはずじゃない!」と怒って子供を変えようとします。

でも、循環論みたいになりますが、実際はコントロールする力が無いから、気に入らない現実が目の前にあるわけです。

「無力な人間として出来ることは何か」と考えると、「気に入らない現実に怒って爆発しても、気に入る結果が手に入らないのは当然だな」と、ごく普通に前後関係と因果関係を認識できるような、そんな気がします。


愛は万能!と思ってしまうと、おかしな因果論を信じ込んでしまうような気がします。

愛してるから変わってくれるはず、愛なのだからこうなるはずああなるはず…。

でも、愛があるからってどうなるものでもないと思うと、「怒れば相手は傷つくし、怯えるし、関係は悪くなるよな」「嘘ついたら信用されなくなるよな」と、自分の行動と目の前の結果を、ちゃんと認識できるかな、と。

 

動物や植物には、おかしな期待はせず、本を読んだりして、最適な方法を調べて、ひとつひとつ実践してきました。

私が間違えれば、相応の結果が出たし、合っていれば、嬉しい結果になりました。

日陰の植物を日向に置いたら葉が痛むし、冷たくすれば嫌われるし、合った土に換えれば元気になるし、掃除をしてあげれば喜んでくれるし。

人間相手でも、結局は同じことなのかなと思いました。

言葉があるから、「こうなれ!」と思ったり言ったりすればもしかしたらそうなるんじゃないかと期待するのですが、あり得ないことは起こらないものですね。

水もやらない植物に「元気になれ!」と言っても水をやらなきゃ枯れるし、なついてない動物に「なつけ!」と言っても無理ですし。

 

自分自身に対しても、そうやってあり得ない期待をずっとしてきたと思います。

思い通りにならないじゃないか!この愛は偽物だ!本物を出せ!」と怒っていたというか…。

「ごめんね、思い通りにならなかったからって、愛を否定して。ただ好きなだけなんだよね」と、今まで虐げてきた自分に申し訳ない気持ちです。

普通の因果関係じゃなくて、ウルトラCの奇跡が自分には起こせると思っていました。

普通の方法でコツコツ愛するのは嫌でした。

当たり前の愛情が貰えず、餓えて育ったのだから、いまさら普通の食事なんか食べられない、楽園の果実をよこせ、と…。

 

誰かを愛してるとして、「人間として」自分には何が出来るだろう?何をしたいだろう?と、しばらく自分に問いかけていきたいなあと思います

自然と、
「いやそれは無理だって言った方がいいなあ。だって人間だし無理だし、正直やりたくない」
「距離を取った方がいいだろうなあ。近くにいる方が辛いわ。だって人間だし」
「それは傷つくよ。傷つかないのは無理だよー、だって人間だし」
と、現実的で諦めポイントを押さえた答えが出るような気がします。

愛に万能を求めず、それは無力でささやかで傷つきやすい、そう、生まれたての生き物みたいなものなんだな、と思えたらいいなーと思います。

でも、生まれたばかりの子供や雛って、命と愛そのものですよね。不思議なものですね。

〇大嵜直人のカウンセリングをおすすめするとしたら、どんな方におすすめですか?

家族の存在に囚われて苦しい方。

〇その他、ご意見やご要望などございましたら、自由にご記入ください。

沢山リピートさせていただいて、本当にありがとうございました。

これからも応援しています。

またよろしくお願いします。

(S さま)

 

>誰かを愛してるとして、「人間として」自分には何が出来るだろう?何をしたいだろう?と、しばらく自分に問いかけていきたいなあと思います。

いいですねぇ…とっても、とっても素敵な問いだと感じます。

私自身も、この問いを、考えてみたくなりました。

こうして書くこと。

誰かと会話すること。

笑顔でいること。

カウンセリングで、その方の価値や魅力や愛を伝えること。

特別なことはないかもしれませんが、Sさまが仰るように、「誰かを愛しているとして」という意味を持たせることはできるようです。

ぜひ、Sさまにとってできること、したいこと、また教えてくださいね。

 

>そんな時、行き場のない愛はどうするかと言うと、まあ、自分で「愛してるけどどうしようもないねえ、しんどいねえ」と慰めたり、こうしてセッションを受けて、「それはしんどいですよね」と言ってもらうぐらいかなあ、と思います。

>かっこ悪いですけど、とても現実的です。

全然かっこ悪くないですし、とても素敵なことだと思います。

どちらも、自分を愛する、ということだと感じますから。

 

>沢山リピートさせていただいて、本当にありがとうございました。

>これからも応援しています。

私の方こそ、本当に得難いお時間を頂きまして、ありがとうございました。

Sさまのこれからを、心より応援申しあげます。

重ねて貴重なお時間をいただきまして、誠にありがとうございました。

〇大嵜直人のカウンセリングの詳細はこちらからどうぞ。

※ただいま満席となっております。

※次回12月度からは有料での募集となります。
募集開始は11月24日(木)午前8時からを予定しております。

〇カウンセリングのご感想のまとめはこちら。