「競争」とはパートナーや周りの人と争ってしまう心理であり、それは自分に対しての自信のなさがもたらします。
けれどもそれは、もっと自分を愛せる、もっとパートナーと関係性を深められるという証でもあります。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.関係に何かが欠けている分、競争が生まれる
あなたの関係で十分ではないところ(たとえばコミュニケーションやお金、セックス、自由な時間、幸せなど)は、自分の正しさを感じているところです。
そして、またあなたのほうがパートナーよりも、ちょっとだけ上だと感じているところです。
そこでは相手よりも先に自分のニーズを満たそうとし、相手に自分のニーズを満たせようとして闘っているのです。
欠けている、足りないと思う分だけ、あなたはまだパートナーシップを受け入れていません。
私たちはだれでも潜在意識にこうした分野をたくさんもっています。
今日はそういうところを意識の表面に浮上させ、新しく選択しなおしましょう。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.389
2.「競争」の心理
今日のテーマは、「競争」の心理でしょうか。
「自立」のステージにおいて象徴的なマインドといえる「競争」。
はい、私もよくお世話になっておりますが笑、その心理を少し見ていきたいと思います。
「依存」と「自立」、そして「競争」
すでに書きましたが、「競争」とは「自立」時代を象徴する心理です。
私たちの心は、「依存」の状態からはじまり、「自立」を経て「相互依存」という成長プロセスをたどります。
そのなかの「自立」の時代に、非常によくあらわれるのが「競争」と「比較」のマインドです。
「競争」とは、相手と勝ち負けを争うこと。
「比較」とは、相手と自分を比べること。
どちらも、相手という基準を置いていることに、注目してください。
「依存」の時代は、自分には何もできないから、誰かに何とかしてもらいたい状態。
でも、それは自分に主導権がなくて、とてもしんどい状態です。
だから、他人に頼ることをやめて、自分で何でもやろうと私たちはしていきます。
これが、「自立」と呼ばれるステージですね。
それは、自分でできることを増やすという恩恵があるのですが、「依存」の時代の「もっとこうしてほしかった」という満たされなかった想いや痛み、傷は、心の底に隠したままの状態です。
その痛みを感じたくないから、「自立」にいる人はとかく「競争」に励みます。
何を「競争」するかといえば、「正しさ」だったりします。
あなたの関係で十分ではないところ(たとえばコミュニケーションやお金、セックス、自由な時間、幸せなど)は、自分の正しさを感じているところです。
「私の方が正しい」
「あなたが間違っている」
そういったところに非常にこだわって、争うわけです。
これが、「競争」の心理です。
「競争」するのは、自信がないから
「自立」している人は、なんでも自分でやれるように見えます。
けれども、その仮面をぺろっとはがしてみると、ものすごく弱い自分が眠っていたりします。
それは、「依存」の時代に深く傷ついた自分の姿だったりします。
「満たされなかった」
「もっと愛してほしかった」
「もっと与えてほしかった」
そんな満たされない想いや痛みを、二度と感じたくないから、「自立」もするし、「競争」もするわけです。
言ってみれば、「なんでもできる自分」というのは、そうした弱い自分を隠すためのハリボテのようなものといえます。
「どうせ、こんな自分は愛されない。だから、自分でなんでもやるしかない」
ある意味で、健気に見えるその態度こそが、「自立」の本質なのかもしれません。
まぁ、「けなげ」というには、あまりにも可愛げはないかもしれませんが笑
けれども、そうした「自立」の裏側にある心理に、「競争」を紐解くヒントがあります。
「どうせ、愛されない」、この部分です。
言い換えるとそれは、「自信のなさ」といえます。
自分に対して自信がないから、「競争」で勝つことによって、自分の価値を担保しようとする。
そこでは相手よりも先に自分のニーズを満たそうとし、相手に自分のニーズを満たせようとして闘っているのです。
引用文にある通り、自信がないからこそ、先に自分を満たしてもらおうと闘い、競争するわけです。
ある意味でそれは、「自立」しているように見えて、非常に他人を気にしている状態ともいえます。
もし、自分に自信があれば。
「どうしたって、私は世界から愛される」という謎の自信があれば。
わざわざ「競争」なんてめんどくさいことを、しなくてもいいわけです。
どっちが正しいか、どっちが上か下かで、心をすり減らさなくて済みます。
白旗を上げることもできますし、負けを認めてあげることもできます。
「競争」の心理を癒していくには、「自分に自信を持つこと」がひとつのカギになるようです。
3.「競争」は、まだパートナーシップを深められる証拠
「競争」していることに価値を見る視点
この話の流れですと、「自分の素晴らしい価値を見ましょう!」という結論が、予想できるかと思います。
はい、「自分自身の価値を受けとりましょう」という、いつものやつです。
いつもご覧になっていただいているあなたには、耳タコかもしれません笑
それはそれで、大切な視点なのですが、今日は少し違った視点をお伝えしたいと思います。
いつも醤油ラーメンばっかりでも、飽き飽きするでしょうから笑
それは、「競争」していることに価値を見る視点です。
これまで見てきた通り、「競争」の心理には、さまざまな満たされない想いや痛みがあり、自分の自信のなさがあります。
そして、それを持っていると、なかなかパートナーを含めた周りの人と、つながりを感じづらい、という最大の問題を抱えることになります。
負けることもできないし、かといって勝つほどに孤独になっていく。
トーナメントの最後は、一つのチームしか残らないように。
自分が「競争」に勝つということは、相手を負ける側に追いやります。
自分が正しくあるほどに、相手は間違っていることになります。
なかなか、負けた、間違っているとされた側は、一緒にいたいと思わなくなっていきます。
これが、「競争」がもたらず毒です。
けれども逆に、こういう見方をすることもできるわけです。
「競争している部分があるということは、まだその相手やパートナーと、関係を深めることができる」
「競争」を問題としてだけ見るのではなく、プロセスの一部と見る視点です。
欠けている、足りないと思う分だけ、あなたはまだパートナーシップを受け入れていません。
「競争」できるということは、この先にもっと素晴らしいパートナーシップを築いていけることの証だともいえるわけです。
「競争」してしまうのはしんどいことですが、それが悪いことなのではありません。
だれかと「競争」してしまうとき。
それは自分を愛し、受け入れ、そして相手との関係性を深めていくためのプロセスの一部だと見ることができます。
「競争」がもたらす問題や痛みに目を向けるよりも、そうした希望にフォーカスする視点を、お伝えしていければと思います。
今日は「競争」の心理と、その捉え方についてお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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