周りの人を信頼できないときは、自分に「自信」がないときでもあります。
そして、「自信」とは経験と自己承認の掛け算で育まれるものです。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.人を信用できないのは、じつはその人といっしょにいるときの自分を信用できないから
だれかを信じられないときは、その場面で自分が利用されたりだまされたりしていると感じてしまうものです。
なぜなら、あなたはその分野で自信がないからです。
もし自分自身を信頼していたら、たとえ見るからにあやしげな人物といっしょになっても、自然にその状況がうまくいくという自信があるはずです。
もし自分に自信がなければ、どれだけ信頼できる人といっしょにいても、裏切られた思いをすることでしょう。
それはその状況を前に進めるために、自分が重要なことを伝えられるのだということを信頼できないからです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.388
2.信頼と自信のあいだに
今日のテーマは、「信頼」と「自信」でしょうか。
二つのテーマでごっちゃになりそうですが、がんばって書いてみます笑
信用と信頼のちがい
さて、その前に。
今日の引用文では、「信用」と「信頼」が使われています。
タイトルでは「信用」、本文では「信頼」。
原初が英語の本ですので、翻訳の関係もあるのでしょうけれども、今日のテーマとしては「信頼」のほうが近いように思います。
日本語において「信用」が用いられるのは、ビジネスのシーンが多いように思います。
「あの顧客が言うことだから、信用できる」
「信用調査会社から、調査依頼を受けた」
などなど。
「信じること」を「用いる」のに足りるかどうか、その基準として使われるのが、「信用」といえます。
どこか、その使い方を見ていると、ギブアンドテイクの概念が流れているように感じられます。
100の労力をかけた見返りに、100の信用を得る、といったように。
しかし一方で、「信頼」とは、非常にパーソナルな心の働きを指します。
「信じて頼る」の文字の通り、それはギブアンドテイクというよりは、ギブアンドギブの精神に近いのかもしれません。
与える、与える、そしてさらに、与える。
だから、「信頼は裏切られることはない」という格言が心理学にはあったりします。
相手の反応や言動、あるいは行動の結果といったもので、「裏切られた」と感じるのであれば、それは「信頼」ではないといえます。
そういった意味では、「信頼」とは、「手放し」や「愛」といった概念と近いように思います。
そうした前提を踏まえると、今日のテーマは「信用」というよりも「信頼」のお話かと思いますので、ここからは「信頼」で統一しますね。
ということで、前置きが長くなりました。
自分への信頼を、周りに投影する
よく言われることですが、周りの誰かを信じられないとき、それは自分自身を信じていません。
「仕事を抱え込んでしまう病」という、難病があります。
えぇ、私も罹患していたりします笑
「人に仕事を任せられない」
「人に頼むくらいなら、自分でやった方が早い」
…などなど、「自立」をこじらせると、誰もが陥りやすいこの病ですが、その奥底には周りを信頼していない、という心理があります。
「どうせ、できないだろう」
「こちらが望むようには、多分やれない」
そういった疑いの目で、相手を見ている。
だから、仕事を任せたりすることができない。
けれども、その裏側にあるのは、自分への不信感と無価値感です。
「たとえ、こちらが望んだようにできなかったとしても、自分がフォローすれば大丈夫」
「どんな結果が出ても、そこから改善していけばいい」
自分やチーム、あるいはプロセスへのそうした信頼があれば、周りに仕事を任せることのハードルはそんなに高くありません。
けれども、自分を信頼していなかったり、あるいは全部自分でやらないと、自分の価値がないと感じてしまう無価値感があると、そのハードルはものすごく高くなってしまいます。
自分を信頼していなかったり、自分に自信がなかったりする分だけ、それを周りの人に投影する、ともいえます。
だから、自分に自信がない分野ほど、周りの人を信頼できない、という図式が成り立つわけです。
3.自信とは、経験×自己承認
そうなってくると、「自信を持ちましょう」という話になるのですが、「じゃあ自信を持つって、どういうことよ?」となりますよね。
「自信」、自分を信じる。
それは、どういうことなのか?
その答えとして、一つの答えがあります。
というか、この段落のタイトルで書いちゃってますね笑
「自信とは、経験と自己承認の掛け合わせである」というのが、一つの答えです。
すなわち、「自信=経験×自己承認」という数式が成り立つわけです。
はい、ドヤ顔で書いてますが、私の言葉ではありません笑
私がカウンセリングを学んだ根本裕幸師匠の言葉です。
これが、とても腑に落ちて分かりやすいので、よく使わせてもらっています。
経験と自己承認の間にあるのが、「掛け算」であるというのが、ミソです。
どちらがなくても、自信はゼロのままなわけです。
「経験」がゼロでも、自信は生まれない。
「自己承認」がゼロでも、自信は生まれない。
私も含めてなんですが、これは結構よく陥りがちな罠で、「自信」と聞くと自分の心の内面「だけ」の問題である、という見方をしてしまいがちです。
「自分を信じればいいんだ!」とばかりに。
しかし、大事なのはそこに「経験」を掛け合わせることです。
「経験」とは、実際にやってみること、自分の手と足を動かしてみることです。
その結果がうまくいっても、うまくいかなくても。
そこで生まれる「経験」が、私たちに「自信」を与えてくれます。
どんな分野でも、最初は「経験」などありません。
おそるおそるでも、まずは「やってみる」ということが、非常に大切になってきます。
そして、そこで出た結果をどうこうするのではなく、「やってみた」ことに自己承認を与える。
この繰り返しが、「自信」を育んでいくプロセスです。
人に仕事を任せる、という話も同じです。
スモールステップからで、いいんです。
お願いしてみる、頼ってみる、委ねてみる。
そうした小さなステップが、そしてその一歩を承認することが、やがて大きな「自信」となっていきます。
なんたって、経験と自己承認の「掛け算」なんですから。
「自信」を持つためのヒントになりましたら、幸いです。
今日は「信頼」と「自信」に寄せて、お伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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