自分が幸せでないとき、それは誰かに「復讐」している心理があります。
それを癒すのが「許し」ですが、許せる/許せないよりも、そこにあった愛を見つめる視点をお伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.表面で何を言おうとも、不幸や挫折は両親への復讐である
あなたが不幸なら、世界にむかってこう言っているのです。
「両親は私をちゃんと育ててくれなかった」と。
そして、悲しい顔で人生をすごしながら、「お父さん、お母さん、あなたたちが私にしたことを見てください。あなたたちが失敗したおかげで私はめちゃめちゃです」と見せつけているのです。
でも両親に仕返しするために自分自身を傷つけていては、腹立ちまぎれに自分に損をさせるだけです。
あなたと両親は同じチームなのです。
両親が失敗したのなら、それはあなたもまた失敗したからにほかなりません。
過去に生きるのはやめましょう。
ほかのだれかのふるまいをあてにした幸せは苦しいばかりです。
あなたが許すことで、すべての人が過去から解き放たれます。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.391
2.「復讐」の心理
今日のテーマは、「復讐」でしょうか。
日常ではあまり使わないような言葉ですが、実に「あるある」な心理でもあります。
不幸せになることで、仕返しをしようとする
一般的に「復讐」というと、何らかの危害を加えられた相手に対して、仕返しをすることを指します。
「復」の字が入っているように、自分がされたことと、同じくらいひどい目にあわせてやる、といったニュアンスがあります。
しかし、心理学的な意味での「復讐」とは、そうした直接的な仕返しをすることではありません。
それは、自分を苦しめて、不幸せにして、その姿を見せつけることで、相手に「復讐」しようとする心理です。
「ほら、みてごらん。私がこんなにも不幸なのは、全部全部、あなたのせいなんだよ」
世界中の悲しみや苦しみを、すべて背負ったような顔をして、そう主張しているわけです。
それは、ずっと自分を苦しい状態に追い込まないと、相手への「復讐」にはならないので、こうした「復讐」の心理にとらわれると、なかなかその状態を抜け出すことが難しくなります。
この「復讐」の相手は、さまざまな相手が考えられます。
たとえば、別れた恋人であれば、
「あなたが振ったあと、私はこんなにもボロボロになってしまったのよ」
という形での「復讐」になったり、あるいは引用文にあるように両親に向けば、
「あなたたちがちゃんと育ててくれなかったから、私の人生はこんなひどいものになってしまった」
という形になったり。
その対象は、実にさまざまな相手がいるのでしょう。
そうした「復讐」の心理のなかにいると、自分が幸せになってしまうと「復讐」が終わってしまうので、ずっと自分を苦しめる状況を選び続けるほかありません。
自分を大切にしてくれないパートナーを選んだり、あるいはブラックな働き方をする会社から離れられなかったり。
「自分が幸せでないときは、誰かに復讐しているとき」
そんな格言もあるほど、「復讐」とは根深く、そして私たちの幸せと密接な関係がある心理といえます。
「復讐を癒す「許し」と、そのプロセス
こうした「復讐」の心理を癒すのが、「許し」です。
「結局、いっつも『許し』ばかりじゃないか」と言われれば、その通りなのですが笑
「許し」とは、癒しをもたらす万能薬であり、ラストエリクサーのようなものです。
まずは、「復讐」をしていることに気づく必要があります。
これが、なかなか難しいんですよね。
心のパターンというか、自分の思考の癖を自覚することは、非常に難しい。
それは、朝起きた後で鏡を使わずに、いまの自分の髪形を把握するようなものかもしれません。
だから、「他人」という鏡が必要なんですよね。
「他人」がいることで、自分の姿を知ることができる。
そういった意味で、カウンセリングとは、自分自身を映し出す鏡といえるのでしょう。
さて、その「復讐」の対象が分かったら、「許し」のプロセスに入ってきます。
感情の解放
いろんな方法があるかと思いますが、感情の解放がまず最初に必要になります。
その「復讐」をしたかった相手に、感じてきたこと、満たされなかった想い、あるいは言えなかったことを、感じ切っていく、というプロセスです。
溜まっていたものを、流していくようなイメージでしょうか。
何かに書いて表現してもいいですし、カウンセリングでただただ聞いてもらう、ということも有効なのでしょう。
感情を解放していくと、それまでその鬱屈した感情が溜まっていて、いっぱいいっぱいだった心に、スペースができます。
ふっと、何か肩の力が抜けたような感触があったり、少し今までと違った思考をする余裕が生まれるんですよね。
感情的理解
そうすると、その「復讐」の相手のことを、自分の感情にとらわれずに見ることができるようになっていきます。
「あのとき、親にああ言われたけれど、それも私のことを想ってのことだったかもしれない」
「最後に別れを切り出したのはあの人だけれども、それまでずっと愛してくれていたのも、あの人だったのかもしれない」
こうした、相手の立場や、そのときの感情を想像してみることを、「感情的理解」と呼んだりもします。
「同じ立場や境遇に置かれたら、自分だって同じことをしたかもしれない」
そんな感覚が芽生えてくると、「感情的理解」はずいぶんと進んでいるといえます。
感謝
「感情的理解」が進んでいくと、あるときからその相手に対しての「感謝」が自然と生まれてきます。
「ああ、なんだかんだ言って、ありがたかったな」
「別れてしまったけれど、あの人と過ごせた時間はとても幸せだったな」
いままでは「復讐」をしようとするくらい、憎かったその相手。
その相手に対して、「ありがたいな」「ありがとう」という「感謝」の念が湧いてきます。
それを、ストレートに表現していくことです。
相手にその言葉を伝えてもいいですし、メールや手紙などを送ってもいいですし、あるいは出さなくてもその「感謝」を紙に書くだけでもいいです。
大切なのは、それを外に出していくこと、です。
けれども、出そうとすると、「あぁ、なんだかやっぱりムカついてきた」ということも、よくあることです。
そんなときは、「感情の解放」に戻って、吐き出すだけです。
「許し」のプロセスは一直線ではなく、1歩進んで2歩下がり、3歩進んで、また3歩下がって…という繰り返しです。
そこに早いも遅いも、正しいも間違っているもありません。
ただ、自分が自分らしく、楽に生きられるように、少しずつ近づいていけばいいんです。
恩恵を受けとる
さて、「感謝」を外に出していくと、さまざまな恩恵を受けとることができます。
両親が、両親でよかったこと。
別れた恋人や、その人と出会えてよかったこと。
そうしたことを、たくさんたくさん受けとることができます。
それはとりもなおさず、自分自身の人生を肯定することに、他なりません。
その恩恵を受けとるほどに、これまでの自分を受け入れ、自分の生きてきた道に光を当て、そしてこれからの未来に希望を持つことができるようになります。
この一連のプロセスが、「許し」のプロセスです。
繰り返しになりますが、この通りに一直線に進むものでもなく、許せたと思ってもまた怒りがぶり返したりしながら、進んでいくものです。
それは、螺旋階段を昇るようなものに近いイメージといえます。
3.許せなかったとしても、あなたの愛の美しさに変わりはない
「復讐」の心理を、それを癒す「許し」のプロセスについて、見てきました。
そこまで書いておいて何なのですが、「許し」とはなかなかに難しいものであることも、確かです。
過去に生きるのはやめましょう。
ほかのだれかのふるまいをあてにした幸せは苦しいばかりです。
あなたが許すことで、すべての人が過去から解き放たれます。
こう言われても、「頭ではわかっちゃあいるんだけど…」と感じるのも、当たり前のことです。
だって、にんげんだもの笑
無理に許そうとしなくても、いいんです。
それよりも、許そうとして、許せない自分を責めることだけは、やめてあげてください。
「許し」ということに、心が反応したこと。
そして「自分は、許せるだろうか?」と、考えてみたこと。
それだけで、もう十分なのだと思うのです。
許そうとしたこと、それだけであなたが美しい愛を持っておられるか、その証明のようなものだと思うからです。
カウンセリングでも、よくお伝えすることです。
たとえいま許せなかったとしても、あなたの愛の美しさには、何の変わりもありません。
「復讐」の心理があったとしても、同じことです。
なぜ、わざわざ自分を苦しめてまで、「復讐」をしようとするのか。
その相手に愛されなかった、傷つけられた、と感じたからではないでしょうか。
そして、なぜそのように感じたかといえば。
それは、あなたがその人を深く愛したかったから、ではないでしょうか。
そこに愛があったことに、変わりはありません。
カウンセリングのなかで、私は決してその愛から目をそらさないようにしたいと思っています。
「復讐」が悪いわけでも、許せないことが悪いわけでもありません。
ただ、そこに愛があるだけなんです。
今日は「復讐」の心理と、許しに寄せて書いてみました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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